【連載小説】秘するが花 7
藤若 2
室町殿のお召を待つうちに、
ふと、藤若はまどろんでしまった。
そして、夢をみた。
藤若には、あの夢は、
神仏のお告げである霊夢
としか思えなかった。
いや、あれは夢ではなく、
現実の出来事ではないか。
我が魂は「はざまの世」へ至ったのだ。
「芸が高まれば、
死者と邂逅することができる」
鬼夜叉の頃、
祖父の死に接して、
死ぬのが怖いと泣いた時。
父にそう教えられていた。
きっと、あれがそうだ。
父が命と引き換えに、
息子の特別な能力を
ひらいてくれたのだ。
藤若は、
父の死を悲しむと同時に、
父の死に感謝した。
人の心には、
いくつもの気持ちが共存する。
きっと、そうだ。
そうでも思わねば、
父の死に耐えられない。
死者との邂逅。
長い歴史を持つこの国は、
生者と死者が共存する国。
生者が立つどの土地も、
いつかの死者が眠っている場所。
命は魂魄から成るという。
魂は、天に召されても、
魄は地に眠る。
命が立つ土地とは、
魄が何層にも重なって眠る場所。
死者とは、物語が完結した存在。
逆に言えば、
生者は、いつも、
いつまでも未完の存在。
人は生きている限り、続きがある。
藤若の魂は、
父の魂に呼ばれて
はざまの世に至ったのだ。
藤若は、父の魂を呼んだ
「なにごとか」
への怨みを感じなかった。
この世での役目が終われば、
人は他界へ行くものだから。
そして、
この世での役目を与えるモノこそが、
「なにごとか」なのかもしれない。
はて。
「なにごとか」とは、天のことか。
もしかしたら、天命というものか。
藤若は、父に与えられた天命を想った。
「我が能は、
衆人愛敬
寿福増長であるべし」
父は藤若にそう教えた。
父の能は、あらゆる人に愛され、
あらゆる人に幸せを与える。
目利きの見者が喜ぶ能ばかりでは、
大衆の賞賛は得られない。
時、所に応じて、
あまり能を知らぬ見者さえ、
楽しめる能をすることが必要。
そのために父は、
あらゆる芸能の
「いいところどり」
をした能を作った。
各々の芸能の「いいところ」。
つまり、
田楽や延年の舞い、
曲舞の音曲等々。
様々な芸能の
「観客に受ける要素」
を取り入れた能を作った。
それぞれの芸能の贔屓客を、
自分の座に呼び込むためだった。
それは我が座の得意芸である、
物真似芸があってこそ、成立すること。
父は、様々な芸能の受ける要素を
「合体」させ、「発酵」させた。
父の能を、誰もが愛して、
父の能で、誰もが幸せになった。
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