(二)されど京都【所詮憶測】
さて、これから京都の伝道や信仰についてご相談させていただきます。
が、本題に入るのは、もう少しじらさせてください。
「ってか、そもそも京都の伝道とか、あまり興味ないんだけど。」
と思われる方もいらっしゃると思いまして。
◆
たしかに、
「お前が、河原町所属なんだから、自分んとこの歴史を調べて語る自己満足だろ。」
と言われれば、否定する余地はありません。
しかし一方で、河原町の歴史は、単なる一大教会の歴史を学ぶことにとどまらない、とも思うのです。
ご存知の通り、河原町大教会から、三十を超える大教会がうまれています。
昨今、教会統合が行われていますので、正確な数は把握しておりませんが、それでも現在、斯道会系の教会は、全国各地に3000を超えています。
◆
お道の信仰者が、自分の信仰の元一日をたどっていくとしましょう。
自分は、誰々によってにをいがけされ、その方は誰々によって……、その方は誰々によって……と、自分と教祖がつながるまで、経路を結んでいくとします。
すると、お道全体の中で、物凄い割合の方が、深谷源次郎先生を経由することになります。
全国に住む多くの信仰者は、京都の伝道に関係しているということです。
となると、自分の信仰経路を丹念に調べようと思うのならば、非常に多くの方が、『河原町大教会史』や『深谷源次郎伝』を参考にしなければなりません。
それだけ両書は、重要な位置を担っているということではないか。単なる一大教会の伝記ではないということです。
◆
ところが、その両書を深く読み込んでいくと、物凄く、物凄く、偏っていることを発見します。
ここから先は
所詮憶測(京都の伝道史)
あばかれざる京都伝道の真相を突き詰める。消えてしまった歴史。隠された歴史を掘り起こす。所詮、私の憶測であるが。いま、私たちが手に取れる資料…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?