18.神一条のモノサシ
これから数回にわたり、教祖が貧に落ちきられたひながたについて、じっくり思案していきたいと思います。
これは今までも、多くの先生方が考察されてきました。
・心を落とす(低くする)ひながた。
・お金や物の執着を取っ払い(欲を忘れて)、親神様一点に凭れ切るひながた。
・ 低い所へ落ち込み、相手の身になって(難儀な人の気持ちが分かり)、どんな人でも助けられるひながた。
・おつとめ完成の準備として、屋敷を掃除するひながた。
等々
どれ一つとして、間違っているものはないでしょう。
ただ、先人の研究結果(答え)だけを学んでも、湧き起こる実感は弱いですので、今一度、自ら思案していきたいです。
教祖は、どういう思召で貧に落ちきる道を歩まれたのか。
今回はまず、それを思案する上での大前提から考えていきます。
◆
立教以前の教祖は、誰からも信頼されるお方でした。その素晴らしさは、現在の私たちでも十分理解できます。
・目の前の困っている人を見たら、助けずにはいられない。
・大変働き者であられた。
・なまけ者にも 「ご苦労さん」と労われ、盗人にさえ慈しまれる。
・自分を殺そうとした相手すら、責めることなく、ご自身の至らぬ点を反省された。
等々
「これがひながたですよ」と言われたら、納得できるような気がします。
が、厳密には違うようなのです。
おさしづにおいて、 「ひながた五十年」と諭されますように、月日のやしろとなられてからが、万人のひながたの道なのです。
◆
本題へ入る前に、ざっくり整理してみましょう。
立教に一つ大きな線を引いたとして、以前と以後では、どう違うのか。
・それまで働き者であったのが、立教の日を境に、内蔵へこもられた。
・夫や両親に素直に仕えておられたのに、急に、何を言われても動じない、神様の思召一条に歩まれるようになった。
・それまでも、困っている方には施しをされていたが、立教以後は、家の物一切が無くなってしまうほど、際限ない施しとなった。
等々
教祖の御態度は、立教の日を境に、明らかな相違が見られます。
そして、もっと顕著な違いは、周囲の人々の評判です。
それまでは、誰一人として尊敬しない者はない。誰もが信頼するお方であったのに、天保九年を境に、急に 「阿呆になった」 とか 「気が狂った」などと、嘲り罵られるようになったのです。
◆
でも……。
私たちが「ひながた」と教えられるのは、後ろ側(立教以後)の道すがらなのです。
…………マジか。
と思いませんか。
立教以前を「ひながた」と教えられるのなら、 「お手本にして頑張ろう」と思えるような気がしますが、真実は、到底真似しようと思えない、後半の道すがらです。
果たしてこれは、どのように理解したら良いのでしょうか。
◆
大変難しい問題だと思いますが、先に私なりの結論を述べさせて下さい。
それは、「天保九年十月二十六日、教祖は神様になった」ということです。
当たり前すぎる解答に、落胆させて申し訳ありません。もう少し説明を加えます。
教祖は、立教を期に神様(のお心)となり、神様の基準に切り替わりました。
それまでは、人間(の心)でしたので、当時の人間の常識の世界を生きておられます。人として、これ以上ないほどのお人柄でしたが、あくまでそれは、人間の範囲内でしたので、私たちにも、そのレベルの高さが理解できました。
ところが、月日のやしろとなられた教祖は、もはや常識の世界にはおられません。神様の世界におられます。
神様の世界を基準に生きておられますから、人間常識のモノサシ(価値判断の基準)では測定不能。次元が異なっていますから、理解が届かないのです。
人間というものは、えてして理解できないものに対し、怖がり批判する性質があります。
「なにをしたか」「そのものがどうか」ということより、「よく分からないもの」が、批判の対象であり要因となります。
現代のSNS界で、 誹謗中傷が飛び交っていたり、宗教への批判が凄まじいのも、詰まるところ、批判者側のリテラシーの問題です。
当時の教祖も、神様のモノサシで測ったならば、その偉大さは理解できたでしょうが、当然その頃は、まだ誰も神一条のモノサシを持ち合わせておりません。
だからこそ、理解できず奇妙に思え、嘲り罵られる結果となったのでしょう。
◆
では、今を生きる私たちは、どうすれば良いのか。
大切なことは、いったん常識のモノサシを措くことだと思います。
貧に落ち切られた意味を考える上でも、世間の常識や倫理観で「こういう意味ではないか」と思案しても、本当の思召に近づくことはできません。
教祖は、月日のやしろとなられた時、それまでの人間常識のモノサシから、神一条のモノサシへと切り替えられました。
私たちも、まずこれを「ひながた」とさせて頂き、神様のお言葉を頼りに、教えを基準に、悟りを深めていきたいと思います。
『稿本天理教教祖伝』 p 23
月日のやしろとなられた教祖は、親神の思召のまにまに、
「貧に落ち切れ。」
と、急込まれると共に、嫁入りの時の荷物を初め、食物、着物、金銭に到るまで、次々と、困っている人々に施された。
( 第三章 みちすがら )
R184.10.1
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