ニーファイ第二書2章:人は肉においては自由である(質問を尋ねる)
わたしの個人の聖文研究のプロセスを紹介しようと実際に記事を公開し始めて2週目になります。第1週目には4本の記事を公開しましたが、思っていた以上に多くの人がこれらの記事にアクセスしてくださっているようです。いろいろなリアクションをいただいていることは大変励みになります。
今週も皆さんのお役に立てばと思っています。
さて、今週は「わたしに従ってきなさい」の進度に沿うとニーファイ第二書1-2章を学ぶことになります。
大海原の航海を無事に終えて約束の地に到着し、リーハイの家族の物語が新たな章に入ることになります。これまで家族を導いてきた父リーハイは、このニーファイ第二書の冒頭で子供たちへの最後の言葉を語り始めます。この場面について想像すると、わたしも父親としての自分の立場とどうしても照らし合わせてモルモン書を読むように促されます。
我が家には今4人の子供たちがいますが、長男は今年の春には高校3年生となります。早ければ、この子がこの家で一緒に生活する時間はあと1年ほどしかないのかもしれないということに気づきます。
親元を離れて彼自身の人生を歩み始める前に、親としてどのようなものを子供に受け継いでいくことができるのかを考えます。もちろん、自分の人生を生きる立派な大人になろうとしている彼には親から受け継いだもののうち何を自分の人生という旅の荷物に加えるか、何を実家に置いたまま旅立つのかを選ぶことができます。彼の選びは彼に任せるとして、わたしはわたしとして最善を尽くしたいと思います。
リーハイも老いにより自分の死期が近づいていることを意識せざるを得ない状況になり、改めて残された機会の中で子供たち、孫たちに何を残していくのかを考えていたはずです。この1章と2章は、彼が子供たちに受け取ってほしいと願い渡そうとした大切な言葉だったのだと想像できます。そう考えると、約束の地に着いた後も続いていく家族の人生の旅で、彼らのリュックに詰めて持って行ってほしいとリーハイが感じていただろう大切なテーマがいくつかあることに気づきました。
見つけた大切なテーマ:「聖約/約束」
見つけた大切なテーマ:戒めに従う/従順
見つけた大切なテーマ:メシヤ/贖い主
見つけた大切なテーマ:束縛からの解放/自由
見つけた大切なテーマ:選択する自由
すべてのテーマが結びついたリーハイからのメッセージ
それぞれのテーマに関連していると思われるリーハイの言葉をいくつか抜き出してみました。そして、2章の最後の言葉を読むと、これまで見つけた大切なテーマがどのように関連しており、リーハイのメッセージの焦点となっていたかがおぼろげに浮かび上がってきたような気がしました。
質問
ここまで一通り聖句を読み、重要なテーマを見つけたところでさらに深く研究するための質問を問うてみます。例えばそのきっかけとして次のような質問は、わたしが実際に今回の聖文研究で問いかけたものです。
「聖約」「従順」「贖い主」「解放/自由」「選択の自由」などの各テーマはどんな意味なのだろう?それぞれのテーマについてさらに理解を深める助けとなる関連聖句はあるだろうか?
それぞれのテーマは互いにどのように関連しているだろうか?
なぜ、リーハイは子供たちへの最後の言葉としてこれらのことを伝えたい、伝えなければらならないと感じたのだろう?
「選択の自由」というテーマ
これらの質問について考えながら、更に調べていくと次のような質問が思いに浮かび、今回の聖文研究では特に「選択の自由」というテーマにさらに自分の心が向かっていくのを感じました。
なぜ、選択の自由は大切なのだろう?
たとえ自分の子供であっても他の人の持つ選択の自由と彼らが選ぶことを尊重しなければならないのはなぜだろう?
どうすれば、子供たちの選択する力をもっと引き出せるよう助けられるだろう?
リーハイは子供たちの持つ自分で選択する力が発揮できるように、どのようなアプローチをとっていただろう?
リーハイは、どのように子供たちの選択を尊重しただろう?
家族や周りの人の選択がどのようなものであれ、それらに左右されずに自分の選択の自由を行使するにはどうすればよいだろう?
さて、今日はここまでです。皆さんは、ニーファイ第二書1-2章を学びながらどのような質問を問いたいと思いましたか?次回は、これらの質問に導かれてどのように理解の目が開かれていったかを分かち合います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?