ニーファイ第一書6-10章:「聖約」〔質問を尋ねる①〕
今週も引き続きモルモン書から学んでいきます。「わたしに従ってきなさい」の読書進度に従ってニーファイ第一書6-10章を学習するプロセスから皆さんに紹介していきます。
モルモン書の目的
本題に入る前にもう少しだけこのモルモン書について紹介しておきたいと思います。この記事を読む皆さんの中には、モルモン書とあまりなじみのない方もいらっしゃるかもしれません。
モルモン書はどなたでも手に取って読むことのできる本です。わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、このモルモン書を聖書と同じようにイエス・キリストとその使命について教える聖文だと信じています。
事実、モルモン書には「イエス・キリストについてのもう一つの証」という副題がついています。このモルモン書を読み始めると「タイトルページ」に次のような言葉を見つけることができます。
この引用からモルモン書の目的は
イスラエルの家にこれまで主(イエス様)が行われてきた偉大なことを示す
イスラエルの家に、彼らがとこしえに捨てられないという聖約をわかるように示す
すべての人に、イエスがキリストであり、永遠の神であり、ご自身を現わされることを確信させる
ということであると宣言されています。ですから、わたしもこのモルモン書を学ぶときに
イエス様が行われた素晴らしいこと
イエス様と交わされ、果たされる大切な約束(聖約)
イエス様がわたしたちにとってどのような存在か
ということに特に注意を払って学びたいと考えています。また、わたしの学習のプロセスを紹介するにあたり、読者の皆さんにもこれらのことを少しでも感じ取っていただけるような記事になるように願っています。
さて、それでは今週の学びに入っていきましょう。
6-10章の要約:ニーファイの弟ヤコブが教えるイザヤの預言と「聖約」
学び始める最初の段階で、書き記されていることの基本的な背景情報をまとめておくと助けになることが良くあります。背景情報や文脈を理解することで、その記録や教えに含まれている大切な真理に気づいたり、意図された意味や記録の目的をつかみやすくなります。
この6-10章の前書きを読んでみると、ニーファイの弟ヤコブがニーファイ人と呼ばれるようになった民に向けて教えている場面であることがわかります。
ヤコブとはどのような人物だったかは、これまで読んできた箇所からいくらかの情報を得ることができます。
ニーファイの弟で、荒れ野の旅の中で生まれた最初の子供だった。(2ニーファイ2:1)
ヤコブは人生の早い時期に、将来来られる贖い主について個人的な啓示を受けていた(2ニーファイ2:3-4)
ニーファイと共に兄レーマンやレムエルたちから逃れてニーファイの地に定住した(2ニーファイ5:4-8)
民の幸福を願い、神様に関わることを大切にしていた(2ニーファイ5:6、6:3-4)
ニーファイによって民を教え導く宗教的指導者として任じられた(2ニーファイ5:26、6:2)
6-8章はヤコブが預言者イザヤの言葉から引用して教えています。このイザヤとは、旧約聖書に登場するイザヤと同じ人物のことで、ヤコブの父リーハイがエルサレムに住んでいた時から100-140年ほど前(紀元前740-701年にかけて)活躍した預言者です。そのため、父リーハイとその家族にとってイザヤの言葉は非常によく知られていて、ニーファイたちが神様から命じられてエルサレムから持ってきた「真鍮の版」にもイザヤの預言の書が含まれていたと思われます。
この時ヤコブがイザヤの言葉を引用した目的を、彼自身が次のように語っています。
ヤコブはこれから引用するイザヤの言葉は、あなた(ニーファイの民)に向けられた言葉でもあるのだと言いました。だから、ただ昔の人が自分たちの先祖や遠い遠い昔の人に語った言葉ではなく、自分にしっかり当てはめてこれらの言葉から何かを感じてほしいと意図していたようです。
更に読み進めると次のようにヤコブが言っています。
「聖約」について知らせることが、イザヤの言葉を引用した重要な目的だと言っています。そして9-10章では、これまで引用してきたイザヤの言葉から今度はヤコブ自身の言葉を使って詳しく解き明かし、教えています。
「聖約」について学んでみよう!
ここまで背景情報を簡単に整理してから、わたしの今週の学びのトピックが「聖約」というものに向かっていきました。ヤコブが当時の民に伝えて感じ取ってほしいと願っていたことが、この「聖約」というものに意図されているなら、わたしもそのことに焦点を当てて学びたいと思ったのです。上でも書いたように、「聖約」というトピックはモルモン書自体の目的とも深く関連しています。このことを学ぶことで、モルモン書という書物がわたしたちに示そうとしている「イエス・キリスト」という御方についてもっと深く理解できそうだと期待がわたしの中で高まってきました。
そこで、次の質問を頭にとどめて読み進めることにしました。
(まずヤコブが引用したイザヤの預言から)主はどのようなことを約束しておられるだろう?
それらの約束(聖約)は、どのように果たされるのだろう?(あるいは、果たされたのだろう?)
それらの約束(聖約)は、現代を生きるわたしにとってはどのような関係があるのだろう?
読者の皆さんも、改めてこの「主がイスラエルの民と交わされた聖約」という視点でまずは6-8章を読み返してみてください。
このような質問を頭に読み進めて見つけたことを、聖文に直接しるしをつけていったり、ノートに書き出したりしていきます。わたしの場合、聖文をただ読むだけではなく、このようにしるしをつける、メモを書き込む、自分のノートに書き留めるなどを通して考えや思いを整理したり、更に展開したりしていくことがしやすくなります。
今日の記事は「質問を尋ねる」の前半部分となります。次回はこれらの質問からはじまりさらに学びの核心に近づく質問に導かれていくプロセスを紹介する後半です。そして、それらの質問に答えを見出していく「質問に答える」に続きます。
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