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岩井謙介さんにエールを頂きました!

皆さんこんにちは!OTONAのYELLをご覧下さりありがとうございます。

今回は長野県上田市にて「面影 book&craft」というお店を2021年冬にオープンさせた、コンテンツクリエイター・編集者の岩井謙介さん(以降、岩井さん)にインタビューをさせて頂きました。(インタビューは新型コロナウイルスの影響もありオンラインで行いました。)

面影book&craftのお店

たくさんの貴重なお話をお聞きし、私たちの質問にも答えていただいたので、今回も対話形式で進めて参ります。岩井さんの人生の中で経験したことがメッセージとしても表れていますので、ぜひ最後までご覧ください!

Q1 高校生の頃の思い出を教えてください

高校生の頃は、ほとんど部活に力を入れていました。
サッカー部だったんですが、サッカーを始めたのは小学校1年生からで、高校3年生まで12年間本格的にやっていました。その後は大学でもサークルなどで続けていたのでサッカーは計16年間やってたんですけど、そのうちの本気でやっていた部分の最後の3年間が高校生時代だったので、もうその思い出しかありません。

高校生の頃は毎年(東京)都内でベスト8に届くか届かないかくらいの学校で(岩井さんは高校生の頃東京都にお住まいでした)、毎年1月10日くらいの成人式の日に国立競技場で決勝戦が行なわれる冬の選手権があるのですが、その全国大会を目指してサッカーをやるというのが、自分の中の目標というか頑張ってやっていこうとする部分でした。そういった意味でも、高校時代は自分たちの学年が大会のメインの年次(高校3年生)に近づくにつれてやっぱり意識していたところはありました。それに中学の時に都大会で優勝出来たこともあって、中高一貫校だったからそのままこのメンバーで高校に行ったので、もしかすると全国大会にも出られるんじゃないかという期待を、監督も自分たちも持ちながらやっていました。さらに、スポーツ推薦でJリーグの下部組織のジュニアユースでやっていたメンバーなど色々な人が高校から入学してきて毎日切磋琢磨していましたね。

でも、自分が高校生になるとちょうど成長期になって、一気に身長が15センチくらい伸びたんですよ、高校の3年間で。1年生の時は160センチくらいしかなかったのに、高校を卒業する時には、175センチくらいまで伸びていましたね。身長が伸びたことは良いことなんですが、そうすると体のバランスがすごく崩れちゃうんですよね。
中学の時は色々上手くいっていたプレーが突然できなくなってしまったりとか。逆にそういう上手くできていた体験が頭にこびりついた中でプレーをすると、自分の心と体の成長がどんどんバランスが取れなくなってしまい、怪我が多くなったり、気持ちの面で頑張れない時期が結構あったなと感じています。だから高校時代は、自分の中であまり思い出したくない時期なんです。
物事が滞っちゃってるみたいなそんな時期でした。

【記者】
そうだったんですか。
サッカーをずっとやってきて、中学の頃まではとてもうまく行っていたけれど、身長のことや気持ちの面でも色々あって、本気でやりたいのにやれないという葛藤のようなものがあったんですね。

そう。多分パワーの出し方が変わってしまったのかなと思いますね。
うまく体が動かせなかったり、気持ちはあるのに体が追いつかなかったりとか、なんかすごく不思議でした。多分大学の時の方が、サッカーが上手くなったんじゃないかな。体と心のバランスがちょうど良い状態になったから(笑)
サークルだからそんなにガツガツやるわけでもないし、本当に楽しみながらサッカーをやっていこうと自分の気持ちが変わったのも大きかった。それと体力面だったり筋力とかそういうのが追いついたというか、良いバランスになったんだと思います。もしかしたら高校の時は気持ちの方が強く出過ぎてしまっていて、体が追いつかなかったのかもしれないですね。
戻れるならもう一度戻って、やり直したいんですよね(笑)

あと、毎年夏合宿が1週間ほどあって、(長野県上田市)菅平でやるんですよ。通っていた高校は東京ですが。
まあ、ここで前提をお話しすると、僕は上田で生まれましたが育ちはずっと東京で、小学校6年生くらいまでの夏休みは祖父母の家が上田にあったので、毎年里帰りして上田の夏を楽しんだりという過ごし方をしていました。中学から部活が忙しくなって上田に里帰りで戻るといったことはなくなったのですが、サッカーの合宿で毎年菅平に来ていました。
でも、合宿の練習がキツすぎて菅平にはあんまり行きたくなかったんです(笑)
その合宿では、普段の練習に加えて走りのメニューなどがたくさんあったんです。例えばスキーで滑る斜面を朝一に走って登るというのをやったりなど。それが辛すぎて菅平は良い思い出があまりないので、2021年2月に上田市に移住してきましたがまだ菅平に足を運べていなくて。そういう合宿の思い出が一気に蘇ってきそうで怖いんです。(笑)
いつか行ってみようとは思っているんですけどね。

【記者】
菅平に良い思い出があまり無いというのは少し悲しいですね笑

まあでも、いい思い出っていうか、今思えば懐かしいし、ほんとに青春時代だったなっていう感じはあるので総合的には良い思い出なんですよ。
でも苦しかったなっていう思い出の方もいっぱいあったという感じです。

Q2 今の職業に就いたきっかけを教えてください

今は主にフリーの編集者として仕事をしていますが、小さい頃から物事をまとめることが凄く好きだったように思います。例えば小学4年生位の頃から学校で歴史の授業が始まると思うのですが、当時の先生が少し特殊で教科書と資料集のようなものの両方の要素を抽出した、自分だけの歴史ノートのようなものをそれぞれ各自で作るという授業があって、自分はそのまとめていく作業が凄く好きだったように思いますね。
でも、そういった自分が好きだったり、得意だったことは、就職を意識する大学生の頃にはすっかり忘れてしまっているもので。だから大学の時に入っていたゼミが「ITと経営戦略」というゼミだったからあまり考えずに、通信系やIT系の会社を意識しながら就職活動を行なっていました。最終的にNTT東日本に内定をいただいて最初のキャリアをスタートしました。入社したころはもちろん自分が一番の下っ端なので、会議やお客様との商談があった時には必ず議事録を取らなくてはいけませんでした。同期の皆んなは、あまりやりたくないことのようでしたが、自分で言うのもなんなんですが、とても早くて正確に議事録を作れたんです。本当に他の人が同じものを作るよりも全然早い。この時期から自分はこういった何かをまとめて伝えていくということが性にあっているなと薄々気づいていました。

こういう就職や社会人としてキャリアをスタートしたのと同じくらいのタイミングで、海外を旅することにハマっていったんです。きっかけは大学4年生の頃に単位を取り終わった後から、バイトをしまくってお金を貯めて海外を旅することが楽しいと思い、4年生の頃はバイトと海外への旅で一年を過ごしていました。ヨーロッパを中心に海外を一人で旅をする面白さを実感していたので、社会人になってからも続けていきたいなと密かに思っていました。就職したのもたまたま大きい会社だったので、割と長期休暇を取りやすくて、会社員になっても学生時代にピンときた北欧に行き続けていました。その頃のメディアが発信している北欧のイメージは、ほっこりするようなマリメッコやムーミンのような感じが大半だったんですが、実際に北欧を旅すると、よりクリエイティブで、もっと既存の当たり前を軽々と超えていくような少しぶっ飛んでいることをやっている方が多かったりするのを目の当たりにしているのもあってその情報のギャップを埋めたいなと思うようになりました。そして、自分が情報をまとめることが得意というストロングポイントを活かして何かできることはないのかなと思い、北欧のことを伝えるウェブマガジンを作り始めました。そこから徐々に紙面でも作りたいと思うようになり、自費出版でマガジンを発行してみようと思うようになりました。でも、そういうことをやっているとだんだん会社員としての自分の生活と、自分が好きなことをやっている時と、どっちの方が自分にとっての幸せなのかなと考えるようになってきて。自分が普段やっている仕事は「通信速度がこれだけ早くなりますよ」などといった『便利さ』を売っていて、北欧を旅して垣間見る生活の中での豊かさと比較して考えてみると、自分は豊かな生活を考え続ける人生を送りたいと思うようになってきたんです。そうやって考えているうちに物事が便利になることと豊かさは違うだろうなと自分の中で腑に落ちて、会社を辞めて、何か情報をまとめて発信できる自分のスキルを軸に、社会に貢献できることはないかなということで2016年にフリーの編集者として働き始めました。

岩井さんがいちから全て作っている雑誌「a quiet day」
【記者】
そうだったんですか。
NTTに働いていた頃に、豊かな生活について考えたことや自分の特技、さらには海外に1人旅に行っていたときの経験なども合わさって今の職業に繋がっている感じなんですね!

そうですね、思うことは誰でもできるけれど、それに対して動けるっていうのが、自分が他の人と違うところなのかなと
後先はあまり考えないんですよ(笑)
いや、少し大袈裟ですね。もちろん考えてはいますが、あまりそこに対してずっと考えるのではなく、「もう考えてもしょうがないから動き出そう」というような感じで、ここまでの人生を生きてきた気がしますね。もちろん何か動いたことで悪い方向にいってしまう可能性もないこともないですが、でもそんなのやってみないと分からないし、やれば何か分かるだろうという感じでやってきましたね。

お客様とお話しをされている岩井さん
【記者】
ほ〜。
とてもポジティブに考えられているんですね!

そうですね(笑)
でも、最初からポジティブだったわけではないと思います。日本とは異なる海外や北欧の方たちの考え方を見てみると、ポジティブに考える方たちが多かったかもしれないです。そういったことに一番影響を受けたのかもしれないですね。北欧の方たちの話を聞いてまとめているうちに、その方たちの考え方が吸収できるというか、その方たちの目線で物事をもう1つの軸として考えることができたから、自分としてはネガティブに思ってしまうことも北欧で出会ったあの方だったらどう思うかなとか、それを考えるだけでも、だいぶ自分の考え方の癖が補正されていく感じがありますね。
そういう経験もあってか、NTT東日本という大きな会社を辞めると言った時に結構周りからネガティブな反応があったのですが、自分としてはとてもポジティブな感じでした。そういうネガティブな思考を止めるという選択が、ポジティブな選択でしたね。

【記者】
そうだったんですか。
やはり大きな会社を辞めるという事は勇気のいることだと思いますが、それでも挑戦していかれるところが、凄く魅力的だなと思いました。
雑貨や文房具も販売しています

Q3 今の職業について良かったことはなんですか?

今の職業が編集者だという話をしていますが、デザインもするし写真も撮るし、展示会やイベントのディレクションとか多分野のことをしています。どこかの専門性やクオリティーを求められる仕事の時は、チームを作って自分以外の方に頼むケースもあるのですが、大体のことはできるので色々なことを自分でやっています。
だから自分の働き方は何が良いかと言うと、色々な方たちと関われるということは1つあるかもしれないですね。そういった動き方は他の人はあまりしていないですし、業界とかにも閉ざしていないので、名刺1枚で色々な方に会いに行けるとか。そんな感じです。
編集者は異なる業界を横断できるっていうのがいいポイントですよ。自分が作っている「a quiet day」というマガジン(北欧の色々なジャンルのクリエイターたちにインタビューしているマガジン)の取材の時にデンマークでギャラリーの運営されている方にもそんなことを言われたことがあります。
デンマークはデザインやアートが盛んな国で、日本人から見ると世界に対してオープンで開かれているという印象を受けるのですが、そのギャラリーを運営しているのがロシア出身の方なのですが、その方と話をしていると、「異国のデンマークに来てデザインやアートの界隈で活動していると、やはり自分はとてもマイノリティーな存在なんだと実感するし、デンマークのデザインやアート界隈のコミュニティーはあまり開かれてないように感じる」という話をしていました。その話を受けて、「でも僕は多くの方たちと話をしていて、開かれている印象受けるんだけど」という話をしたところ、「それはあなたが編集者だから、色々なところに入り込める余地があるからなんだよ」と言われてハッとさせられました。そうか確かにそうなんだなという思いもあるし、改めて編集者でよかったなという感じがしました。毎回取材の旅でデザイナーの方の話を聞く時もあれば、写真家の方の話を聞く時もあれば、地下施設で野菜を育てているような未来の食について実験している研究者に話を聞きに行く時もある。そういう、ジャンルを飛び越えることができるというのは、編集者としての大きな魅力で特権なんだなというのを実感しました。

【記者】
やっぱり1つの業界に絞られてしまうとその業界の人だけと会うことになってしまうこともあるかもしれませんが、フリーランスというのも編集者というのも取材先は限られないと言う点で色々な方にお話を聞ける経験がありとても面白いと思います。

そういった意味でも、自分の働き方は人生の経験値を上げてくれるものかもしれませんね。
それに新しいことを知るというのは楽しいことでもありますよ。

写真撮影時はチョコレートのフェアを行っていました


Q4 高校生のうちにこれだけはやっておけ!ということを教えてください。

今の高校生もそうですし、高校生だった頃の自分に言いたいのは、『一生懸命になれること見つけること』ですね。
例えば僕の話になりますが、サッカー部の時に最終的にはレギュラーになれなくて試合とかにも出られなかったんですが、でもそういう時なりの一生懸命さで物事にちゃんとトライをすることは本当に大切だったんだと思います。
もしかすると努力と結果が結びつかないってことって世の中多いのかもしれないですが、一生懸命やったことのプロセスの中から大事なことって出てくると思うんです。でもそれは多分時間経った後に返ってくることなんで、何か課題や問題に直面しているその時にはあんまり分からないんですよね。そう考えると今はそれを感じていて、自分がレギュラーチームに入れなかったあの時、仲間が頑張っているチームに対して、自分が一生懸命に何ができるかという観点が足りなかったなと思うし、もしその時に気がついてもっと一生懸命に何か出来ていればチームにも良い影響を与えることも出来ただろうし、控え選手だったとしても、何か貢献できることがあるのではないかというのは思っているんですよ、チーム作りとして。それを振り返ると、高校時代に戻れるなら、自分も含めて控え選手だった時の態度や考え方など、そこら辺は本当に改めたい、ひとこと言いたいなと思いますね。
今こういうふうに社会に出て、色々な方たちと働いてみると、それぞれのプロジェクトに対してチームがあって、その中で役割分担があると思うのですが、各自がその役割通りに作業こなしていれば目標としているゴールに近づくかというとそうではないと思います。役割を超えた何かを全員が出し続け、出し合わないと、良いものってできなかったり、プロジェクトとして成功しなかったりすると思うんですよ。

自分の高校時代に戻ることはできませんが、その言葉をかけてあげたいなと思います。他人と比較するとかは一旦置いておいて、今自分ができることに全力でやってみるということは絶対にやったほうが良いと思います。別に高校生のタイミングじゃなくても良くて、それが大学生でも良いと思うし社会人になってからのタイミングでも全然良いと思うんですけれど。何か本気で一生懸命になれることを見つけてやってみると良いということは伝えたいですね。

それはゲームでもいいし、勉強でもいいし。勉強を頑張って一番行きたい学校合格するというのは良いことなのですが、それが逆算的になり過ぎるのは良くないなと思います。「良い大学に入る」とか「良い会社に入る」ということがダメと言っているのではなくて、「自分が本当に学びたいと思う気持ちの方をまず優先して欲しい」と思いますね。社会や周りが決めた杓子定規に沿った“将来”から逆算して考え過ぎるというのはあまり良くないことなんじゃないかなって思います。将来や人生が変わるきっかけなんていうのは、大学とか会社とか意外にもたくさんあるものですし。
進路とかを考えるタイミングだと思うのですが、高校生や大学生のうちのそんなところで人生は絶対決まらないから(笑)
色々な人との出会いや仲間を大事にすることや一生懸命何かやり切ったという経験の方が全然大事だと思うので、今を全力で楽しんで欲しいですね。
今を全力で楽しむということをやっていれば、色々なチャンスが出てくるだろうからね。

【記者】
確かにやりたいことを犠牲にして他の事をしていても楽しくないですもんね。

そうだね、やる気が出ないしね(笑)

あともう1つ言えるのが、大人の意見はあまり聞きすぎないほうがいいということです。もちろん僕も大人の端くれなので、僕の話も含めて。結局最終的には自分で決めな!っていうね。それでミスったとしても、また頑張ればいいじゃんという感じですね。

【記者】
それ結構パワーワードですね(笑)

ちゃんと書いといてそれ(笑)


Q5 これから大人になっていく高校生に向けてエールをお願いします!

はい。
これも先ほどと同じです。『自分が楽しいと思う気持ちや夢中になれることの方を大事に、一生懸命になれること見つけること』、そして最終的に未来は自分で決めること。だから『大人の意見はあまり聞きすぎないほうがいい』ということを大切に、今を全力で楽しく生きていってください!

個人的な質問にもお答えいただきました!

Q 編集者とかデザインとか後いろいろやってらっしゃると思うんですけど、技術と言う形はどこで学んだとかってなったりするんですか?

どこかで学んだということはないです。

【記者】
独学なんですか?

そう、独学です。いろいろ調べたりもしました。
それは本を作るとなった時に、参考にしたい雑誌とかを見たというのもあるのですが、好きだから出来たことだと思いますね。
ちょっと時代を超えて過去に戻ってみて、昔のヴィンテージの雑誌などを見つけて、そのレイアウトをどうやって作っているのかとか、そういうことを見て学んだり、好きだからそこまでのめり込んでできることだし、やってみてうまくいかなかったら「ここをこうしたいんだけど」というのをネットで調べたりすると、やっぱり同じところで困っていて、それを解決した方などが解決策が書かれていたりするので、「へーこうやってやるんだ」というような感じで、どんどん自分で吸収していっている感じですね。
だから何かを学んでいく時は、自分の体験を通して学んでいくというのがすごく大事だと思います。

【記者】
そうなんですね!

あと、僕資格とか大嫌いなんですよ。
TOEICとかTOEFLとか、どうしてそんな検定の枠組みで自分の英語力を決められなくちゃいけないんだろうと思っちゃうんです(笑)
だから資格なんて自動車免許しか持っていません。(笑)会社員時代も、この資格を何年までにとらなくてはいけないという目標が掲げられてたりするのですが、敢えて取らなくて。そうすると定期的な面談などで人事から絶対に指摘されるんです。「なんでこの資格取っていないの」って。
でも自分なりの資格を取らない理由をしっかり説明して、その分業績でしっかり成果を出すので、って言っていました。そうすると苦笑いして渋々人事も納得してくれたし、結果的に成果もしっかり出していたので、特にお咎めなしでした。
でもこういうことを言っている時は、その成果があげられるという保証は一ミリもないのですが、そう言って自分にプレッシャーをかけて頑張っていましたね。

あと本当に資格なんかよりも大事なことは、何か物事が起こった時に自分の心がどう感じるか、どう感じたかをしっかり覚えておくことの方がとても大切なんだと思いますよ。

インタビューなどをして、他の人の話を聞いて心に浮かんだこととか、感想とかではなくて、「僕はこう思うな」みたいな、そういうことを絶対忘れないようにしようっていうのは考えていますね。
だから、それを忘れないというスキルをどれだけ磨けるかということが資格よりも大事なのかな。
こんなことって資格では判断できないし、自分の中での評価というか、積み重なっていくことだと思うので。もちろんそれだけだとダメな場合もあるんですけどね。
他の人はこういうこと言わないと思うので、そこは押さえておいた方がいいかもしれませんね。
こういうことをやりたいとかでも、スキルって後付けで全然補完できることだから、まずはやりたいことをやってみて、上手くいかなかったら調べて、学んでいけばいいと思いますよ!

本日はインタビューを受けていただいてありがとうございました!


岩井謙介さんのプロフィール

1988年長野県上田市生まれ、東京育ち。日本を拠点に、写真とテキスト、リアルの場やwebなどを複合的に編集・製作しているフリーランスのコンテンツクリエイター・編集者。

2010年から会社員時代も含めて計10年間、毎年北欧への旅を続ける。旅の中で出会った北欧の人々から影響を受け、「これからの豊かな生活」を探求していくために、新卒で入社したNTT東日本を2016年に退職し、フリーランスのクリエイターとして仕事をスタートさせる。自身の考え方の変化のきっかけになった「北欧」を中心に様々なクリエイターたちのインタビューを編集・デザインしたマガジン「a quiet day」を2015年12月に創刊。
創刊時から現在に至るまでインタビュー、エディトリアルデザイン、編集などのクリエイティブワークを一手に行ない、北欧のクリエイターたちや日本の技術を繋ぎ合わせた新たなプロダクトの開発や日本のマーケットへの展開の橋渡しも担う。

SNSやWebでの情報発信などの「デジタル領域」と紙媒体の製作やイベントなどの「フィジカル領域」の状況を複合的に編集し、企画することを得意とし、現在では、自身のクリエイティブワークに加え、物事のコアメッセージやプロセスを適切なメッセージ、コンテンツに落とし込み伝えていく仕事を国内外の企業と一緒に企画している。
出典:https://www.kensukeiwai.com/about

今回もご覧くださりありがとうございました♪
これからも様々な業種の方々にインタビューしていきますので、是非ご覧くださいね!

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写真・文 小倉 稔

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