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20年以上推した男の熱愛報道を前にした女の話

私の母には20年以上愛した男がおりました。父以外の男です。
そのことについては父も承知していましたし、何も言いませんでした。

男の名はコウイチといいます。

コウイチの苗字は珍しいものなのですが、堂も..どうにも偶然同じ苗字の男と組み、アーティストとして活動していました。特定を防ぐため、ここでは彼の苗字を伏せたいと思います。コウイチはKinK…近畿地方の出身です。

写真は特定の団体を示すものではありません。

母はコウイチの存在について、実の子である私にも隠しませんでした。母は私に、NHK教育の代わりにコウイチの録画を見せ続けました。そして私が小学生になった頃、ついに母は私をコウイチのもとへ連れていくようになりました。

コウイチの作るステージは実に見事なもので、彼が座長を務める舞台は著名な演劇賞を受賞したこともあります。今思えば英才教育でした。優れた舞台を硝子の少女時代に連れていかれたことで、私自身も自ずと美的感覚が養われたように思います。母にもコウイチにも感謝しています。

そんな母ですが一度、死線を彷徨ったことがあります。脳の病気に倒れたのです。
当時その病は3割が死亡、3割が後遺症、3割がなんとか(すみません忘れました)、全快はたったの1割。大変な病気でした。

弱る母は病床で父に頼みました。

「コウちゃんの新曲(初回限定版・2種類のうちコウイチバージョン)を買ってきてほしい」

それは『solitude〜真◯のサヨナラ〜』という、病床に届けるにはあまりにも不謹慎なタイトルの歌でした。

もしかしたら最期のお願いになるかもしれない。それなのに父は誤って”コウイチではないバージョン”を買ってきてしまったのです。

あれがわざとだったのか本当に間違えたのかは今でもわかりませんが、おそらく店員に「どちらがいいですか」と聞かれて、「よくわからんのでどっちでもいい」と答えたのでしょう。

まさか同じ歌のCDで何種類もあるとは思いもしなかったのだと思います。

のちに母は幸運にも全快の1割を引き当てました。真実のサヨナラにならなくて良かったです。以来『solitude』を聴くたびに「あの時死んでいたら家族はこの歌を聴いて涙しただろう」とあっけらかんと振り返っています。

愛する人に頬寄せる母

しかし今年の3月、大変な事件が起きました。

コウイチに熱愛報道が出たのです。それも10年もの長期交際。

心がざわめきました。母が何かよくないことになったらどうしようかと大変苦しみました。大きな喪失を味わった人間の悲しい顛末を聞いたこともあります。正直なことをいえば、私はコウイチのことも報道したスポ◯チのこともひどく憎みました。知っていても黙っていてほしかった。また母の脳の血管がブチ切れたらどうしてくれるんだ。

しかし心配は無用でした。母はこの出来事を至極冷静に受け止めていました。

いつかこのような時が来ると覚悟していたと。自分はこれまでコウイチから、十分すぎるほどの幸せと喜びをもらってきたと。母の両親が80を過ぎた頃から、コウイチを見に行っている間に両親に何かあったらどうしようかと気を揉んでいたと。けどそんな心配からもようやく解放されるのだと。

「私が夢中になっている間も恋愛していたと思うと虚しくなるから交際年数まで報じるべきではない。やっぱり父ちゃんが殿堂入り」

やはり母は、ではなく強しでした。

でも一応根に持っているのか、あれほど夢中になった男のことをほとんど語らなくなったし、少しでもこの話をふっかけるとブチギレます。

熱愛報道への社会の反応は好意的でした。しかし歓迎する声に埋もれる悲しみもあったのではないかと想像します。コウイチの人生なのであれこれいうのは申し訳ないのですが、一応ウチの母のような人もいるよということで、ここに記録しておきたいと思います。もちろん私たち家族は、コウイチの今後の活躍と幸せを心から願っています。

母は今も元気です。最近は星屑スキャットという女装家シンガーとポニー動画のSNSに夢中です。ときたまリプライを飛ばしています。それは構わないのですが、ポニーに話しかける口調での投稿はできればやめてほしいです。

これについて母は、「お◯マとおウマは裏切らない」と語っています。

文責:手塚瞳
編集・ライター養成講座47期生。ウマの書記係。栃木県出身。東京都在住。慶應義塾大学文学部卒。中央競馬の石川裕紀人騎手への愛を綴ったエッセイで第15回Gallopエッセー大賞を受賞したことを機に書籍、ウェブメディア等に寄稿。NPO法人日本インタビュアー協会認定インタビュアー。Works


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