まだまだなのである。
この前のエッセイから、引き続き年明けから様々な出来事が続き、考えさせられる事が多い。こんなにいろんな事が起こる年始も珍しいなと思っている。
だからと言って「今年は波乱に満ちているかも…」なんて思いたくはない。
それを乗り越える、乗り越えないは別として、人生はいつも何か波が来ることの連続だと思っている。
近いところではコロナもあった。去年だと物価高…
考えてみると何もなかった年なんて無かったんじゃないかと思う。
去年のように、今年も乗り越えて、来年もそんな感じで…なんてのんびりと考えながら、仕事に追われていない年始を送っている。
そういえばこの前、自分の考えが改まる出来事があった。
唐突な話だけど、自分の考えの中には「写真は本当は必要じゃないのではないか?」という考えがあった。
ちなみに自分は仕事でも趣味でも写真がないと生きていけないと思っている人間である。
きっかけは東日本大震災の時だった。
テレビから連日流れてくる映像を見ていると、自分が仕事にしている写真は無力だなと思った。
理由は、あの状況下で何が一番必要だったかと考えれば、「衣食住」だったと感じた。
何か自分の身を守るモノ…例えば、雨風や雪、冷たい風をしのげる場所があり、栄養のあるものを身体の中に取り込んでエネルギーにして、その体温が下がらないように衣服で身を温めたり…
生活のインフラが何より大切なのに、写真は雨風もしのげないし、食べて栄養にもできない、体温を保つ事もできない。
その時は、東日本大震災の被災地の事を考えたが、日本含め世界のどこかにある貧困の現場でも写真よりも「衣食住」が大切なのではないかと思うと、結局、写真は平和や安全の上に成り立っているにすぎないと無力感を感じることが多かった。
ただラッキーな現状にいるから写真ができるだけなんだろう、尚且つ自分には生きるなかでこれしかないのではないかと思うと本当に情けなくなった。
それからなのか、写真を撮っている時に高揚感で満たされることはなかった。
正直に言うと今もほとんどない。
自分の予想外の出来事が起こると素直に驚くけど、それくらいである。
もちろん撮らせてもらっている人には有難いなと思っている。
あくまで、その瞬間にシャッターを切っている時に「自分はこんな勝手なことをして何がしているんだろう?」と疑問を抱くことが多い。
だから、そこまでハイテンションではないのである。
しかし、この前とある人のインスタグラムの投稿を見たときにハッと気付くことがあった。
それは写真の、その時を形にするという側面である。
何を今更と思う人もいるかもしれないけど、この時、自分は何処か物理的な部分ばかりに目線が向いていたんだなという事に今更ながら気が付いた。
例えば一枚の写真があったから、辛いことがあっても何とか今日まで生きることができたとか、心の支えになるような事である。
確かに、それは使いようでしかないかもしれないけど、写真は瞬間を物理的な画像となり、人の精神面に作用する。
実際に災害が起きた時に、現地の人に何が必要かと調査をされた時に、物資などに並んで、上位に勇気づけられる歌と答えた人が多かったらしい。
人が何か立ち上がるとき、踏ん張らないといけない時に、大切なのは精神面に作用する言葉や歌、ひょっとしたら写真みたいなモノなのかもしれない。
自分の中で対象とする人が違っていたのかもしれない。
それでも自分が少なからずとも携わっている写真を一方的に美化するように目の前に置くような事はしたくない。
自分がすぐに変わることはないかもしれない。
逆にそんなにコロッと性格も何もかも変わってしまったら自分で驚く。
とりあえず、自分はまだまだなのである…