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清水晶子さんに問う「フェミニズムの敗北」とは?(『地平』2号水上文さんとの対談より)

『地平』の2号が「奪われるフェミニズム」特集だそうだ。水上文×清水晶子さんによる対談が、「『フェミニズムの敗北』を乗り越えるために」とは、すごいタイトルだ。私は清水さんをフェミニズムの理論家だと思ったことはないし、むしろクィアの立場から(?)フェミニズム批判を一貫として生業にしているひとという印象しかない(そもそも専門が人文学なので、社会科学の勉強をなさらないのであったら、社会制度の話はあまりなさらないほうがいいと思う。発言や書き物に間違いが非常に多くて、端的に日本のフェミニズムの歴史をご存じないみたいだし←ご本人から反論があったらきちんと批判を書きます)。視点もフェミニストだと思ったことはない。例えば「埋没した棘」では性被害者を同情を引いて女同士で連帯するために被害を語るひとたちだと決めつけ、女湯に潜む男性器つきのトランスを称揚する謎の論文であった。掲載した岩波書店の勇気をたたえたい気持ちにすらなったが、と茶化しているが、私には一生許せない論文である。水上文さんにかんしては、これまでフェミニズムにかんしてどのようなことをされてきたのか、申し訳ないが私は不勉強で存じあげない。今回は清水さんの発言を取りあげていきたいと思う。

対談自体、もう少しイシューに焦点化してきちんと再構成したほうがいいと思うが、あまり論点もないので仕方ないのかもしれない。

相変わらずの「トランス排除」は右派の統一教会言説

トランスのひとたちを貶める言説のパターンを積極的に流通させている人達の存在は、少なくとも欧米に関しては、お金の流れを含めてわかっています。日本では、ジェンダーフリーバッシングのときにも(注:フェミニストが、でしょうか)手を組んでいた、統一教会などの宗教右派の一派も関係しています。

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いつも何が焦点になっているのかを見ることはなく、トランス問題について発言するフェミニストを「統一教会などの宗教右派」と手を組んだ人たちで終わりにしようとするあたり、あまりに雑ではないかと思います(その立場に賛同するにしろしないにせよ)。お金の流れが明らかになっているのはむしろ、LGBT系のほうだと思うのですが(ソロス財団がお金配ったり、研修ビジネスをおこなったりという)、ぜひわかっているなら毎回「トランス排除的フェミニストや右派の金の流れは、わかってる。わかっている」というのではなく、公表してもらいたい。虚心坦懐に、勉強させてもらいたいですね。

(規範的な女性身体にかんする)自分の身体に対する屈託は私も持っているし、それはフェミニズムの理論的なテーマとして出続けている大事な話ですよね。社会が女性だと認定する身体を持つ存在が、その身体とどのようにかかわっていくのか、いけるのかをめぐる課題は、なにも可解決されていない。でも、その屈託がトランスへの攻撃に向かう必然性はありません。
 トランスのひとたちも…身体のあり方にプレッシャー…そこでなぜ連帯できないのでしょう。
 90年から2000年にかけてのフェミニズムは、そのような身体に関する議論を熱心にしていましたが、そういうベーシックな部分がきちんと社会に伝わっていない。そういう意味で現状は「フェミニズムの敗北」だと思います。

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ちょっと驚くような発言ですが、ご本人は本気なんでしょうか。フェミニストとトランスの間にある問題は、身体のある種の規範性や、ルッキズムの問題なんかではないですよ。別にフェミニストは、自己の身体の社会的承認を求めているわけではないでしょう。そこでの不満をトランスに向けているみたいな、抑圧移譲のような下らん俗流精神分析もどきもやめてもらいたい。清水さんの視点に徹底的に欠けているのは、性暴力への意識です。女性たちは自分たちの身体が、むしろ性的に価値を持たされること、性暴力の対象となることを恐れているのですよ。清水さんがよくされる「女として認めてもらえるかなぁ」なんて話じゃない。否応なく女性はそうしたヴァルネラブルな身体をもたされているのであって、「屈託」をトランスにぶつけているわけではない。SNSをみても、むしろ女性たちは一貫して性暴力から身を守る制度設計の話をしてきたように見えるのですけれども。
そして1990年代から2000年にかけてのフェミニズムの身体の議論ってどのあたりを指してんですか? ナオミ・ウルフとかですか?(笑) まったくわかんないんだけど。それが伝わらないことが「フェミニズムの敗北」とまで言い切るんだったら、そして本当に真面目にそのことに向き合って考えているんだったら、挨拶みたいな話をだらだらと掲載しないで、ここを話しませんか? ゲラもらったときに、せめて自分で書き込みませんか?
あらためて、「フェミニズムの敗北」ってなんですか? 清水さん…。溜息しかない。教えて♡

日本では90年代終わり以降、ジェンダーフリーに対するバックラッシュがあって、フェミニズム系やジェンダー系の本はほとんど刊行できなかった。…就職も困難で、そのかん、教育も研究も蓄積されにくくなった。

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はぁ?どの国の話でしょうか?私はジェンダーの公募で2000年に東京外国語大学に採用されていますが、その前にはそもそも「ジェンダー」の公募なんてそもそもがなかった。日本でフェミニズムや女性学を担ってきた先輩方たちがどのようにされてきたのかをご存じないから、こんなずれまくった発言になるのではないでしょうか? 90年代には性教育にかんするバッシングは確かに潜在的にあったが、ジェンダーフリーのバックラッシュなんてまったく高等教育では経験していない。授業をするうえで配慮したこともないし、出版にもまったく影響してない。相変わらずフェミニズム系の原稿依頼があり、コンスタントに書いていました。フェミニズム系やジェンダー系の本がまったく刊行できなかったなんて事実ありますか? 確かに2000年代に入ってからの数年、私たちのなかにはジェンダー(フリー)という言葉を使うことに過剰な自衛の意識から躊躇いがあったのは事実で、私は「そんなことに委縮してはいけない」と発言した記憶があります。でも委縮させられたのは、例えば初等中等教育の現場(東京都では、ジェンダーフリーに基づく男女混合名簿の禁止の通達がでた。でも男女平等に基づくならよい、といういい加減なもの)で、大学には微塵も影響はなかったと思いますけど、フェミニズムの出版が妨害され、研究も中断され、教育もしにくくなり、大学のポストに就職もできなくなったと清水さんが主張されるのであったら、何をもってそう判断されているのか、証拠を出して欲しいです。どこの国の話だ。少なくとも2000年に入っても東大で上野さんはジェンダーのゼミをおこなっていましたし、竹村和子さんの演習にも微塵も影響を感じたことはなかったですけど(外大に就職してからも竹村さんのゼミにださせてもらったりしてました)。彼らは本もバンバン出してましたよね? こういう歴史修正主義を正していくのが、私の使命じゃないかと最近思うようになりました。そもそも清水さん、そのとき日本にいたんですか? 経歴を拝見すると、2003年までウェールズの大学院にいたって書いてあるんですけれども…。まぁ別に日本にいなくてもいいですけど、どうやって学んだんですか?本気にする人がいるから、こういう間違いを広げるのはやめて欲しい。

(2010年後半以降のフェミニズムブームの話を水上さんがしたことを受けて)抱えていた違和感や問題意識がフェミニズムに結びつくとき、そこにはすでにトランス排除言説が存在してて、そのなかでフェミニズムを学んでいくことになった人たちもいたということなんですね。

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これも具体的に教えて欲しい。学ぶフェミニズムにはトランス排除的言説がすでに存在してたんですか?2010年後半に?例えばどんなのなんでしょうか?日本語文献で見たことないんだけど…。具体性のないフェミニズム叩きはやめて欲しい。おそらく清水さん以上にフェミニズムの歴史を知っている私にわからないのだから、一般の読者にはもっとわからないと思う。具体的な話をして欲しい。つねに。

(トランス排除的な人に、それは差別ですと伝えても認めてもらえないのは、「私が傷ついて、怖いと言っていることを否定するなんて、それこそ女性差別だ」という回路ですよね…問うこと自体が許されないという水上さんの発言を受けて)個人の感情を尊重すると同時に、それを社会改革につなげる回路こそ、フェミニズムだったはずですよね。…傷つきに寄り添うだけではエンパワメントにはならないと思っています…フェミニズムは批判的・発展的に継承されなくてはならない、と感じながら、しかしそれに成功できなかったのが、おそらく私たちの世代です。

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疲れたので、まとめました。私はフェミニズムは「傷つき」を前面化してきたと思わないし、だからこそ理論的発展があったと思うんだけど(むしろ近年のwokismの問題じゃないかと)。別に社会改革をしなくてもいいと思ってますけどね私は。学者だから。せめてきちんと誠実に正確に論じることが仕事だ。まずそれをしないと。で、「世代」というけれども、清水さんは誰を継承するのだろうか?どの系譜に繋がってるのか?私が継承すべきものは念頭にあるし、そうした関係のなかで私も研究をしてきたのだけれど(でも清水さんには教えない)、いまはこうした清水さんたちのような「歴史修正」と闘っていくことが使命だと思っています。下らないことに見えるかもしれないけれども、書かれたものが事実や歴史として扱われてしまう例をたくさん見てきて、こうしたいい加減な言説をひとつひとつ正していくことが使命だと思うようになりました。ああ、朝から仕事もせずに、4000字も書いてしまった。今後、清水さんには事実に基づいた慎重な発言を求めたい。



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