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『帰れマンデー見っけ隊!!』「 軍艦島スペシャル」は一見の価値ありでした!

ドラマ『海に眠るダイヤモンド』の舞台・端島…すなわち軍艦島。先日の『帰れマンデー見っけ隊!!』では、1974年の閉山から50年を迎える軍艦島の”非公開エリア”にも潜入して、かつて軍艦島で暮らしていた元島民たちから聞いた思い出の地が、現在どのような姿になっているのかを映像記録として残そうというスペシャル企画でした。

これまでも何度かいろんな番組で、リアル軍艦島の映像を観てきました。でも今回は現在の軍艦島の姿と再現度の高いドラマの軍艦島の姿とがあいまって、非常に感慨深く観ることができました。

かなり史実に忠実にドラマが作られていることか分かり、どれだけ細部に渡るまで丁寧に取材をされたのかを感じました。

それこそ番組MCのサンドウィッチマンの『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』という番組で、3年前に軍艦島に行ったのも観たと思います。そのときよりもさらに様々なエリアが朽ちてきている様子に、そのうちツアーでも上陸できなくなりそうなのでこれは早く行ってみないと…と!

今や足を踏み入れられない場所もドローンを駆使して、貴重な映像の数々が捉えられていました。ドローンはこういうときには最強のツールですね。

「軍艦島の元島民の思い出の場所」
①冬でも楽しいプール
②島で一番高い所に!「神社」
③1200人が通学!マンモス「学校」
④パン・麺・豆腐手作り「厚生食堂」
⑤最大建造物「65号棟」
⑥島民が愛した軍艦島グルメ
⑦両親が働いた「昭和館」と「めがね」

『帰れマンデー見っけ隊!!』「軍艦島スペシャル」より

軍艦島で生まれ育ったガイドの方と一緒に、これらの元島民たちの思い出の地を探して映像に残していきましたが、まさに感動と興奮の連続でした。

当時の子どもたちが遊んでいた「プール」。限られた遊び場の中でも、プ ールは子どもたちにとって最高の遊び場だったようですね。冬にはローラースケートなども楽しんだそうです。これもまたアイデアですよね!

元日に多くの人が参拝したり、年に一度の島の大イベント「お祭り」が開催された「端島神社」。集合住宅の屋上にあって、下から見ると現在は断崖絶壁にギリギリの状態で建っているように見えました。

ドローンで神社を撮影したところ、神社は木造だったものの台風に備えてコンクリートで強化された、まさにその四本足が残っている状態でした。軍艦島を、今でも上からしっかり見守り続けている孤高の雰囲気が漂っていました。

ちなみにさだまさし演じる和尚さんのいる「お寺」は、「泉福寺」という宗派を超えて法事を行った禅寺と思われます。

神社の奥には「日給社宅」と呼ばれたアパートがあって、その屋上には国内初の「屋上農園」ができたそうです。杉咲花演じる朝子が「緑のない端島に緑を」…と第6話で奮闘していた様子と重なりました。それが”現代パート”の、いづみの会社に繋がっていくわけですよね。

「学校」は圧巻でした!当時は1,200人もの大人数の子どもたちが通っていた小中学校で、その建物のスケールの大きさに圧倒させられました。

学校のグラウンドは大人たちにも開放されて、スポーツを楽しんだり「炭鉱運動会」などさまざまなイベントも行われたそうです。

そして、島民にとっての憩いの場「厚生食堂」。朝子が看板娘として働く「銀座食堂」はまさにこのイメージですね。「パン・うどん・皿うどん・ちゃんぽん」と看板にも書いてあった通り、何でも提供していた食堂だったようです。

「厚生食堂」を探している間に見つけたのは、いわゆる「デパ地下」。化粧品、ファッション用品、家電や日用品のすべてが揃っていたそうです。炭鉱員の方たちは高給取りだったので、高級品から売れていったという話は興味深かったですね。

ドラマでもテレビを買う買わないのエピソードがありましたが、当時一般的なサラリーマンのお給料3か月分相当のテレビを、炭鉱員の方たちはこぞって購入したそうです。

「端島神社」まで行ける急な階段は“地獄段“と呼ばれ、ここは第1話で鉄平とリナが立っていた階段でしょうか?

8階建ての高層アパートには、上から下にゴミを落とせる“ダストシュート“がすでにあったりして、当時からこんな便利なものが存在していたことも驚きでした。

「厚生食堂」の前の通路は残念ながら危険で目の前には行けませんでしたが、看板より下は瓦礫で埋まってしまっていたものの、当時の柱は残っていました。

次に最大建造物だった「65号棟」。9階建てでそこに1,500人住んでいたそうです。歯医者や理美容室もあり、屋上には保育園も!子供たちがギューギューに”すし詰め”で昼寝をしている姿は、その人数の多さにびっくりでした。あんな小さな島に、5,300人もの人が暮らしていた証ですね。

部屋の中には、テレビやステレオ、ミシンや洗剤なども残っていて生活感が感じられました。当時の暮らしぶりが分かる痕跡は貴重です。同時に、島民の方たちがすべてを捨ててそのまま島を出て行ったことが偲ばれて、なんとも複雑な気持ちにもなりました。

そんなロケの最中、その巨大アパートの公園だった広場で“超貴重資料”を発見!それは当時の新聞でした。日付の部分は残されていませんでしたが「田中首相」「ソ連」「琉球列島」「中国日本大使館開設」などのキーワードから、1973年の新聞と推測されました。端島の閉山は1974年だったので、1年前の新聞かと。

これには同行の市職員の方も驚きを隠せないようでした。ただ軍艦島から何かを持ち出すことはできないそうなので、置いていかなければならないというのも世界遺産ならではですね。

軍艦島最大の娯楽施設「昭和館」、ここは「映画館」です。今は「映写室」と「切符売り場の柱」しか残っていませんでした。片桐はいりが「映画館」の館長・大森を演じたときにドラマにも出てきましたね。

「昭和館」は九州の映画の新作の「封切館」だったそうで、長崎から軍艦島に来て映画を観る方もいたそうです。なので、多少波が荒れてもフィルムだけは何としても島に持ってきていたそうです。そういえば大森も、海に流されそうになったフィルムを命懸けで守ろうとしていましたよね。

「めがね」はゴミ捨て場。当時は環境汚染への意識も薄かったので、リアカーでゴミを集めてすべて海に捨てていたそうです。「めがね」の意味は、向かいにある高島がよく見えるから「めがね」。

ここは斎藤工演じる進平と、池田エライザ演じるリナが二人でよく会っていて、大きな秘密を共有した場所かと思われます。

ちなみに島民の思い出の味は「クジラジャガ」。「肉じゃが」のクジラヴァージョン。長崎はクジラの消費量全国一だそうです。

1974年1月15日、炭鉱閉山。当時を知る方が、その様子を語ってくれていました。17時をもって廃局。全部ランプが一斉に消えた…そのとき、すべてが終わったと感じたそうです。まるでその瞬間の映像が見えてくるようでした。

今回MC陣と共に軍艦島に行った小泉孝太郎の言葉「(朽ちていく)寂しいだけのイメージしかなかったけれど、(同行した皆さんの)お話のおかげで色鮮やかになった」。

まさにドラマ『海に眠るダイヤモンド』で、それまでコンクリート一色のイメージしかなかった軍艦島が色鮮やかによみがえった感覚そのもののようでした。

当時の軍艦島の写真や映像と比較しながら今のドローン映像も観られて、世界遺産・軍艦島の歴史の重みを改めて感じました。

「廃墟の島」と呼ばれ、確実に朽ちていく軍艦島の運命はもちろん変えられません。でも元島民の方たちにとっての軍艦島は「賑やかに豊かに、笑顔で暮らしたかけがえのない”ふるさと”」。その”ふるさと”の映像がこうして永遠に残り続けるということは、元島民の方たちにとっては大きな喜びなのでしょう。

ドラマ『海に眠るダイヤモンド』の第6話は、3組のカップルそれぞれの幸せが描かれて感激でした。第7話は炭鉱での事故が起きるようで、ストーリーが大きく動きそうですね。ますます目が離せません。

リアル軍艦島と、ドラマの軍艦島。私の中でますます軍艦島への想いが強くなりました。来年辺り時間を捻出して、ぜひ訪れてみたいところです。

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