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我読む。故に我有り

三中信宏さんは、研究のご専門は「系統樹概念に関わる数理系統学的研究」(Researchmapより)だが、稀代の蒐書家であり、書評家でもあり、そして著書も多数。前作『読む・打つ・書く』(東京大学出版会)の「姉妹作」というよりは「子孫本」として書かれたという本書『読書とは何か 知を捕らえる15の技術』(河出新書)を、ご恵贈頂き読了。

読売新聞の書評欄も担当されておられた三中さんは、「鈍器」となりそうな分厚い専門書も取り上げてこられたが、SNS情報によれば、ちょうど東北大学特任教授の渡辺政隆先生によるスティーブン・ジェイ・グールドの翻訳書進化理論の構造I・II』(工作舎)全2巻総ページ2000頁弱(!)を制覇されたところらしい。

本を読むことが「狩り」だというのは、「物理的実体」としての書籍を「解体」し、「消化」して要素に分解した上で、それらの要素から新たに全体を構築していく過程として捉えていることによる。生物学で言うところの「異化」と「同化」を伴う「代謝」の過程だ。本書ではこのような読書術を「基本篇」「応用篇」「発展篇」、それぞれ5つの「〜読」、計15の「みなかメソッド」(←拙命名)として紹介している。

例えば最初のメソッド「完読」が挙げられていて、その教えとして「足元を見よ、メモを取れ、時々安休め」とあり、確かにメモを取らないと何を狩ったのか、消化したのか、記憶はすぐに曖昧となる。ただし、私は本にメモを書き込むという行為がどうしてもできない。帯も付けたまま、できるだけ本を傷つけたくない、綺麗な状態を保ちたいのだ。本を裁断してPDF版にするなど、自分の身が切られるようで悲鳴を上げたくなる。なので、最近はリアル本と電子書籍を併用し、ラインマーカーやメモは電子版の方を利用する。

次に「速読」として「自己加圧ナッジの術」として三中先生のTwitterの読書ログが転記されている。Twitterのフォロワーには知れ渡っていることではあるが、この記録の充実ぶりは本当に真似できない。2019年1月28日より『動物と人間:関係史の生物学』(三浦慎悟著、東京大学出版会、821ページ)を読み始めたときのログは、同年2月11日11:17:58のポストの時点で読了したことが公開されている。三中ファンにとっては、三中先生の頭の中を覗きながら、伴走している気になる(しかも楽ちん♬)。

複読」には「読者としてアップグレードする」という教えが添えられている。私自身、小林秀雄の『真贋』や、夏目漱石の『三四郎』など、何度も読み返す本がいくつかあるが、果たしてアップグレードできているのかはおぼつかない。最近は、石沢麻衣さんの『海に続く場所にて』(講談社)を読み返すだけでなく、Audibleで聴き直している。コロナで出張が激減し、電車での移動時間という、これまで読書に充てていた時間が取れなくなった分を補うのに、通勤の車や徒歩の時間、耳を使うのは便利なのだ。ただし、文字を追いかける「読書」ではなく「聴書」なので、脳の違う部分が使われるようだ。また、ヴォイスメモをレコーディングして記録することは可能ではあるが、音声となっている言葉を途切れさせるのは難しい。

みなかメソッド」を知れば知るほど、私は「狩り」には向いていないと思い知った。私にとって読書は、ただ文字を追いかけている間に、「フロー」状態に入るようなことがあって(おそらく脳からアルファ波が出ているのだろう)、そんなリラックス状態に陥らせることがまた、脳の別の無意識下の部分でクリエイティブな反応が生じているような気がしている。なので、安心して下さい、皆が三中先生のように「狩れ」なくても良いのです♪

本書には、三中先生が「狩った」多数の書籍が書影付き、コメント付きで披露されている。このコメント部分は横書きで、現代的な書籍の作りになっているのも楽しい。「拾読」したい方は、この部分だけ追いかけるというのも有りかもしれない。日本では毎年7万冊の書籍が出版されているらしいが、定期的に「書店パトロール」をされる方でも、自分のテリトリー外の本は知らないことが多い。各種の書評欄はもっぱら新刊本が取り上げられるので、しばらく前の面白い本などが見つかるかも。

第1章「知のノードとネットワーク」は、本書のイントロとしてダーウィンの『種の起源』を基調に、上記、渡辺先生の翻訳本(『種の起源 上・下』光文社古典新訳文庫)や、北村雄一氏の『ダーウィン「種の起源」を読む(化学同人)も取り上げられ、三中さんの「狩り」の営みが展望できるが、本書を「完読」した上で、再度、読み直すのが良いかもしれない。読むという行為は「アブダクション」なのだから。

扉の裏ページに、イタリックのフォントで「Lego, ergo sum」とあり、「我読む。故に我有り」と添えられていた。デカルトの「Cogito, ergo sum(我思う。故に我有り」は有名だが、冒頭のラテン語動詞はいかようにでも応用可能。私の読み方は三中さんのように「狩り」というスタイルではないかもしれないけど、私が読んだもの、その読み方が私自身を作っているということに共感する。ちなみに、本書を最後まで「完読」すると、ちょっとしたお楽しみが待っています♬

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