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『大学は何処へ 未来への設計』を読んで考える大学の未来

母校の東京医科歯科大学が東京工業大学との合併について協議を始めたことが、8月9日に正式に両校から発表され報道された。

医科歯科は1928年に東京高等歯科医学校として創立され、歯学部にルーツがある。東京医学歯学専門学校となり医学科を設置したのは1944年。東京大学には歯学部が無いことから、これまでも「歯学部のみ東大に移ってはどうか」などの議論や、東京都内の国立大学5つで集まって連携する構想なども持ち上がっていた。

今回、東京工業大学との合併について本格的に議論されるようになった理由は、いわゆる「10兆円ファンド」の話が持ち上がったため、より正確に言うなら、「国際卓越研究大学」の認可を受けて年間数百億円の支援を受けたいということが大きいと推測される。医科歯科の「お知らせ」から引用しておく。

その結果、それぞれの大学の重点分野・戦略分野をこれまでと変わらず強化することに加えて、両大学が立脚する自然科学の様々な分野を自由な発想で掛け合わせ、さらにそこに両大学が重視するリベラルアーツの発想も活かすことで、社会の課題解決に直接貢献する新たな学術分野を生み出せるとの確信を持つに至りました。この様々な領域を自由な発想で結合する実験的試みをConvergence Scienceと名付け、これを規模感をもって具現化するためには、世界中から集まる多様な研究者と学生のフラットな関係の下での自由闊達な協働を実現する創造空間を両法人が共同して創り上げることが最適なアプローチである点で認識が一致しました。

東京医科歯科大学HPのお知らせ(2022.8.9)より。全文は下記より。

そんなタイミングで、ちょうど読んでいたのが、元東京大学副学長、東京大学大学院情報学環教授の吉見俊哉先生の大学は何処へ 未来への設計』(岩波新書)(正確にはAudibleでほぼ毎日、通勤時などに聞いて、2回目を始めたところだった。この書評を書くにあたり、Kindle版も購入)。

吉見先生のご著書は、東日本大震災後に出版された大学とは何か』(岩波新書)や、もう少し新しいところでは大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起 (集英社新書)』などを読んでいた。

本書はコロナ禍から1年ほど経過した2021年の4月に発行されていたもので、大学が2020年度にどのようにオンライン授業に対応したのか、というプロローグで始まる。オンライン化になんとか対応したものの、授業の質が劣化することに繋がる可能性、それより大きなこととして、大学の"バブル崩壊”が到来する可能性、なぜなら、大学が疲れ果てていること、日本でリベラルアーツ教育がどのように衰退していったのか日本の大学が「どれほどボタンの掛け違いを積み重ねてきたのか」(第二章タイトル)など、過去の2冊の書籍とも重なり合いながら、日本の大学の危機が論じられる。

第三章では、オンライン化の先に未来の大学はどのように"オープンエデュケーション”を推進すべきなのか、キャンパスを持たない米国のミネルバ大学の例が紹介される。未来の大学では教員も学生も「オンラインとともに町へ出よう」といざなう。そのルーツは、国を越えて知を求めて教員や学生が渡り歩いた欧州の第一世代の大学にある。そう、アカデミアに必要なのは「移動の自由」だ。それを真っ向から崩したのがCOVID-19のパンデミックだった。

第四章では九月入学について論じられる。吉見先生は世界標準である9月入学に合わせることが、日本の大学の危機を打開する切り札ではないかと主張される。東京大学では過去複数回にわたり「秋入学」について検討が為されてきたのだが……。そもそも、日本の帝国大学も始まりは九月入学であり、5月に卒業して、6月〜8月の三ヶ月が夏休みだった。それが、農閑期を配慮した4月の年度始まりに合わせる様式に変わっていったのだが、もはや日本の農業人口は200万人にも満たない、すなわち1.6%程度であるにも関わらず、一度決めてしまったフレームワークから逃れられなくなっている。

第五章では、日本の大学の「均質性」が語られる。戦前までの方が、複数の教育ラインが並行していて、いわば「多様性」に飛んでいたのだが、初等中等教育が戦後の「6・3・3制」に集約されていく過程で、旧制高校が担っていたリベラルアーツ教育が失われ、専門学校が大学になっていく際にも、リベラルアーツは重視されてこなかった。吉見先生に言わせれば、日本の大学は「通過儀礼」でしかなく「期待されていない」。そもそも、明治維新後に日本で創られた「大学」は、西洋のシステムを官僚が取り入れる手段としての意味合いが強かった。戦争末期から占領期にかけても、理工系が有利になるような体制が組み込まれていった。「大学」で何を学ぶべきなのか、はっきりさせない間に、さらに昭和から平成の時代も大学や学部をどんどん増やし、大学設置基準の大綱化、大学院重点化、国立大学法人化を進めて来たのだ。

第六章で、吉見先生はいよいよ「時間という稀少資源」について論じるのだが、その上で、大学の歴史的変遷や学長のリーダーシップについて触れている。中世欧州で始まった「教師と学生の協同組合」という大学の起源(カレッジ)や、専門領域の研究者から構成される学部や学科の共同体である近代の大学(ファカルティ)、そして「アカデミック・キャピタリズムのなかでの知的ソウゾウのエージェント」としての現代の大学(ユニバーシティ)という3つの大学概念は、未来の大学を考える上で、どれも欠くことができないと吉見先生は捉えている。とくに日本では「カレッジ」の面が脆弱でリベラルアーツ教育が衰退しているのが問題である。

この章では、若手研究者を取り巻く諸問題についても触れられている。定常的な人件費削減のために若手教員のポストが減り、外部資金で任期付きの特任教員を雇う方向にシフトする間に、逆に任期の付されていない常勤教員、とくに教授たちは、定常的な業務に加えて、さまざまに複雑化していった入試制度、任期付き教員を雇うための外部資金への応募等によって、より多忙を極めるようになっていった。「つまり彼らは、自由な時のなかで大きな研究成果を上げていくことなどは望めないし、期待もされなくなっていったのである」と吉見先生は捉えている。

そのような中、産業界に広がる「現代の大学教育への不満」から「学長のリーダーシップ論」が盛り上がってきたことについては「基本的な錯誤があったのではないか」という疑念を呈する。効率を重視し、株主を満足させるための「企業型リーダーシップ」が、果たして大学という組織に適するのかどうか。吉見先生は、2015年に発表された渡辺孝の『近時の「学長リーダーシップ論」への疑問』(『IDE現代の高等教育』567,29-32頁)という論考を引用しつつ、「企業と大学ではそもそもの目的が異なる」ことを提示し、大学とは「多数の独立した研究者である教員とさらに多数の自由な意志を持った学生を含み込み、両者に交わされる〈知的創造〉が最大の営みである」と定義し、「大学は〈法人〉に支えられつつも、〈法人〉を越えた組織」と位置づける。

そのような組織が健全なものとなるために必要なのは「大学という場の時間全体のマネジメント」であると吉見先生は主張される。大学は「時間的自由を創造性の本源とする組織だから、効用性が有線される社会のなかでも、それとは異なる創造性の時間が擁護されなければならない」のだ。それが考慮されなかったために「大学人の時間は劣化し、ついには日本の大学の研究力や教育力が低下してきた」ということだ。そしてその理由は以下のように述べられる。

なぜそのような逆説が続くのかーーー。それは、日本の大学が相変わらず教員中心でタテ割りの、垂直的閉鎖系として組み立てられ続けているからである。大学の組織構造の基礎は、その底辺が崩壊しながらも、いまだにファカルティ、つまりそれぞれの学部や研究組織の教授会にあり、それぞれのファカルティにはそれぞれ独自のルールや慣習的しきたりがあり、他方でユニバーシティにはグローバル化や人口構造の変化のなかでますます多くの要求がなされ、ファカルティはそのタテ割りの構造を維持したまま、上から降ってくる要求に対して自らの存続と拡張を狙い続ける。この牢固たる構造のなかで、矛盾のしわ寄せは、大学の根幹をなす個々の教職員や若手研究者が負う仕組みとなっている。

『大学は何処へ 未来への設計』第六章より

関連することとして、大学職員が専門職化できない理由に関して、個別の教育研究組織を越えた仕組みの標準化ができておらず、大学全体、大学を越えての業務のDX化ができず、職員の専門的育成を横断的にできないとあり、思わず膝を打った。同じ法人の中でさえ、A研究科とB研究科の成績判定のルールや消耗品伝票が異なっていて、職員は異なる部局を異動する間にジェネラリストとしての階段を上がっていく。専門的スキルをもとに大学間も異動する流動性は日本には無い。

終章では、再度、パンデミックのもたらした危機に関して、歴史的にグローバル化との関係を振り返る。例えば13世紀にモンゴル帝国が拡大する間に人やモノの移動が活発化したことによって、14世紀のペスト禍がもたらされた。感染予防のためには「移動の制限」が基本となる。12、13世紀に欧州で誕生した大学は、汎ヨーロッパ的に都市から都市へと渡り歩く商人、職人、聖職者、芸能者のネットワークを背景にしており、「どこかの都市に、大変学識のある人物がいることがわかると、その学都が何か月も旅してその都市に集まり学びの舎を形成し」、教師と学生の協同組合を形成した。このような「都市の旅人」である教師や学生の移動の自由が制限されることが、第一世代の大学の終焉に繋がる。さらにペスト禍による移動の制限がまた労働集約的な意味での技術的イノベーションをもたらし、その1つであるグーテンベルクの出版革命もまた、教員や学生が移動しなくても、安価で大量に印刷された書物から知識を得ることを可能にし、「何か月もかけて大学のある都市まで旅する必要はなくなった」。

コロナ禍後の「ニューノーマル」が「大学の自由」と共存できるためには、国を越えた移動や対話や対面での活動の自由が保証される必要がある。「私たちはなお越境し、接触し、対話し、主張し続けなければならない。そうした集合的行為こそが、都市を実現し、大学を支えるのである。」と吉見先生は説く。ところが、日本のパンデミック対応は、イエやムラ、職場などの自分が直接的に関係を持つ積層化された「世間」を基盤にした「自粛」という同調圧力であった。吉見先生は、さらにネットのなかの日本独特の「世間」に関しても言及する。このような同調圧力の強い認知行動は、自由を中心に据えた「大学」と非常に対立するものである。「大学の根幹をなす自由とは、異質な者たちの広域的な横断性である。」と吉見先生は主張する。

最後に、吉見先生は、第一世代の大学が16世紀以降に領邦国家の仕組みに合わせて分裂して第二世代の大学に変貌していった歴史を踏まえ、1999年に欧州29カ国の教育大臣が署名した「ボローニャ宣言」を紹介する。同宣言には、全欧州的に通用する共通の学位制度や、全欧州規模での高等教育の質保証やそれに基づく単位互換制度学生と教員の国を越えた交流などが盛り込まれている。実際に、ボローニャ宣言に先立つ「エラスムス・プロジェクト」では、1987年から2008年までだけで欧州域内の約9割の高等教育機関が参加し、延べ190万人もの学生が交換留学生として欧州内を行き来した。

21世紀の大学では、パンデミックの危機を経て、オンラインという強力なツールを携えて、学生や教師が広域的に移動できるものにバージョンアップしていくと吉見先生は予測する。「知的想像を実現する教師と学生の共同性とオンラインでの学習の組み合わせの工夫が、未来の大学では肝要になる。」本書の終章は以下の言葉で締めくくられる。

……そこに生まれる第三世代の大学は、何よりも地球社会の大学でなければならず、もはやそれは国民国家の大学ではない。それらの大学が育成を目指すのは、新しい地球人であって、もはや特定のナショナリティに自己を同一科させるような人々ではないのである。そのような大学に、たとえ一握りでもなっていける大学が、果たして日本に存在するであろうか……。

『大学は何処へ 未来への設計』終章より

本書を読んで、一番、首肯したのは「知的創造のための自由な時間こそ、すべての学生と教師が失ってはならない貴重な資源である」ということだった。共通一次元年に、直接、人の為になると思って医科歯科の歯学部を受験した自分が、大学院で基礎研究を志したルーツに、「国際会議等で世界の研究者と交流して切磋琢磨することへの憧れ」があったことを久しぶりに思い出した。卓越した大学を再生させるためには、今、枯渇しかかっている大学構成員の時間資源を取り戻すことが何より重要と考える。そして、それは、個々の大学の中だけで達成できることではない。競争するだけでなく、国際的視野に立った相互連携が必要なのだろう。

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