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数万年ぶりにパスタを茹でてみた。
どんなにハードでも「料理」が息抜きになっていた時期と、まったく手に着かない時期があった。
ここ数ヶ月はコンビニとスーパーに頼りっきりだ。
体力的に、頭脳的に結構疲弊することが多く、何も考えたくなかった。
「体に悪そうだな」と思いながらも利便性に流れていた。
しかし、先日山場を越えて、久しぶりに「生産性」や「効率性」を取っ払ってクリエイティブになってみたくなった。そこで数万年ぶりにパスタを茹でてみることにした。トマトソースという名の、古い食材をたくさん投入したトマト煮込みも作った。
もともとスッキリしていた冷蔵庫がさらにスッキリ。残り物の煮込みもそこそこおいしいものができて、拍子抜けした。所要時間10分~15分。パスタを茹でている間に出来上がってしまった。
今まで「疲れ」を理由にスーパーやコンビニで買って、台所にはそもそも近寄らなかった。しかし、もしかしたらコンビニで食事を買って家で食べる以上に楽で健康的なのかもしれない。
「何を食べてもいい!」という制限が無いと、「どうしよう、何をつくろう」と意思決定に疲れてしまうし、メンドクサイ。
しかし「家にある食材はこれらです。また、パスタがたくさんあるので消費することがミッションです。何か食べられるものを作りなさい」だと、創意工夫が生まれる。(もしくはいい意味で手を加えることをあきらめる。)
多少の制限を与えることでクリエイティビティが生まれるとどこかの本で読んだことがあった気がするが、これもそのようなシチュエーションなのではないだろうか?(楽天的すぎかもしれないけど。)
もちろん、外食に頼ることを悪いとは思わないし、実際に外食をかなり多用してきた。でも、久しぶりにパスタを茹でてみて、自分の思い込みが必要以上に料理に対するハードルを上げ過ぎていたかもしれないということに気づいた。
冷凍庫には今もなお、食材たちが眠りこけている。
そしたら、それらの食材を使い切ることをミッションに料理を再開させようかしら。うーん、ならば、まずは熟睡中の料理の「勘」を呼び起こそう。
決意を胸に、クックパッドを再度インストールしてみた。