メランコリーを取り出して。
悩みが大きいとき、はぁっと溜息が出る。
ネガティブな溜息は、腹の奥底に留まる悩み物質が息を吸っているんじゃないかとも思う。だって悩んでるとき、僕は体の中に確かに「それ」がいる感じがするんだもの。
それに思い出してみて、溜息はまず吸ってるのに、なんだか出てきた息の方ばかりが記憶に残ってる。
整理して考えれば簡単にわかる順序の話みたいに、この悩みが解決すればいいのにね。
って自分自身に皮肉を食らわせてみる。はいどうも貴重な悪性タンパク質をありがとう。
ところでさ、僕は過去にある人に怒ってもう一生知らないなんて思ったけれど、その人は僕の近い友人ととても近い関係にあるため未だに存在を記憶から忘れられないでいる。
その怒った日はもう何年も前で、今は怒ってはいないけど、しっかり思い出すとわだかまりがあることに気がつく感じ。
僕は十代の頃から人に頼るのが苦手だったから、こういう気持ちは外に出さないで過ごしてきた。
今までなら、これは僕の中にだけある問題意識で、みんなが解決したいとかそういう風なものじゃないよな。ってやり過ごしてた。
でも今は、このわだかまりを思い出したことについて別な考えも生まれた。
誰かに話すほどじゃないって気持ちを、それこそ誰かに話したら変わるんじゃないかな、だって自分一人でこれまで消化出来ずにいたんじゃないのあなたは。って気がついた。
こういうことなのかな、人を頼るって。
分かった気になって少し嬉しくなった。
ただ、人にどう伝えようかっていう面倒くささは確かにあると思う。
このわだかまりは例えるなら、ぬるま湯に浸けておいた鍋底の汚れのよう。
怒ったときはまだぬるま湯にも浸けてなくて、固くこびり付いてるからすぐに剥がそうとすればとこっちも怪我すると思ってもう見ないことにしてた。でもずっとシンクにあるんだよね。え、これ何年も洗わないでいたのかい笑
まあ、そろそろこのお鍋を洗おうかなって。
一人で小さくしようとして出来なかったメランコリーを取り出して、身軽になってみようかしら。