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水色不足

小学校二年生の頃のお話。


 夏休みに入り、家に持ち帰ってきた朝顔のお世話があった。

我が家には一応庭と呼べる空間があって、そこに鉢植えを置いて、気が付いたら水をやれば良いかな。くらいに考えていた。

 そもそも夏休みに入るまでに、学校の中に置いて育てていたので、既に大きくなっていた朝顔を家に持ち帰ってくることに、沸き立つ感情はこれっぽっちもなかった。


ペットボトルの先っぽがシャワーのように分かれるキャップがクラスに渡されて、朝登校したら、授業の前に何人かでそれぞれ自分の朝顔に水をやりにいく。これでは僕にとって育てている感覚はあまり感じられなかった気がする。(なんと生意気な)

 先生は夏休みの宿題を例のごとく課してきた。国語なら漢字ドリルを進め、算数なら計算ドリルを進め、夏休みの思い出日記をつけてくる。

そこに加わったのが、「朝顔が咲いたらプリントに色を塗る」だった。

配られたプリントは、白の画用紙一面に満開の朝顔が規則正しく格子状に並んでいるものだった。朝顔の絵の下に、日付を書く欄もあった。

ご丁寧なことに、毎日、花が咲いていたらその数だけプリントの朝顔を色塗りして日付も記入してくださいとのこと。

僕がどんな子供だったか思い出すと、宿題が嫌い、絵を描くのが嫌い、勉強が嫌い、ゲームが好き、そして色塗りが好きだったと思う。

絵の上手い友達に、自由帳に頼んで鉛筆で絵を書いてもらい、それを持ち帰ってクーピーで色塗りをすることがとても楽しかったくらい、色塗りが好きだった。なぜなら、絵が苦手だったからだ。(この話はいったん置いておく)


だからこの宿題は前向きに取り組んで夏休みを終える、はずだった。


 夏休みが始まってから何日目かは覚えていないけど、かなり早期の話。

元々庭は祖母の領域となっていて、都内の狭い一戸建てというのに、みかん、だいだい、きんかん、春菊、菊、ミニトマト、もう思い出せないくらい、他にも花や松の木があった。

そんな領域に、朝顔の鉢植えが参入という構図が出来上がった。翌月の市報に載るんじゃないかと思ったら載ってなかった。


けれど、ある日水やりに行ったら、鉢の中に茶色くてコロコロしたものが何個か乗ってた。それは土に半分近く埋まってて、祖母に聞くと、「肥料」を入れたのだと言われた。(その一年後、釣り堀に連れて行ってもらったときに渡された練り餌を見て、肥料に似てるなと思った)


肥料?なんてことをしてくれたんだ。肥料なんかいらない。

僕の鉢植えはクラスのみんなと比べて異質な物になってしまった。

恥ずかしい、僕の鉢植えだけ、変なのが入っている。いっぱい咲いても、ズルしたと思われるのが怖い。

 僕は周りが気になってしまう小学生だったわけだ。

テンション下がった。それからのお世話も、朝水やりに行こうと思えば、既に祖母にあげられていた。今で言う「朝顔ガチ勢」だ。

次、いつ水やりに行こうかと思えば、まだいかなくていいと制されてしまった。

お待たせしました。ここから皮肉です。

肥料と適切な水加減のおかげで朝顔が毎日咲きに咲き乱れました。

僕は宿題の画用紙に、毎日クーピーで色を塗ってました。もうすごくめんどくさかった。

水色の朝顔ばかり咲いて、クーピーの塗り甲斐もなくなっていた。

学校にいたころは、紫とか赤っぽく咲いた友だちが羨ましかった。

僕は肥料をやったから水色ばかり咲くのかもしれないと自分の境遇を呪ったほどだ。

18色クーピーを端から何度と眺めても、水色しか相応しい色がなくてつまらなかった。


 それでも色を塗って塗って、画用紙がなくなった。

これで夏休みのタスクが一つ完了、始業式までバッファあって良かったね。


とはいかなかった。

母が、画用紙がなくなる前にひっそりとコンビニかスーパーでコピーしてきていたのだ。

まだまだ開花の勢いは止まらない。母はこのコピーに何枚でも塗りなさいと言った。

それから毎日色塗りマシーンとして僕は立場を受け入れて過ごした。わけない。

咲いた分だけ塗っていたら疲れる、学校が始まって、僕一人だけコピー用紙を沢山持って、提出したら、どうだろう?

なんか、変じゃないか、必死な感じで、すごいなんて思われるわけなさそうなことで、頑張りが目立つなんて。

花が咲いても塗ったり塗らなかったりだ。日付も適当にごまかした。

それが僕なんだ。一番僕に近い僕。書いていて懐かしい。


こうして、大して朝顔に良い思い出を作れずに夏休みは終わった。


二学期が始まって宿題の提出の時、僕は最後まで母のコピーした画用紙を出すか迷っていた。いや、ほとんど出さないつもりでいた。


その時、別の席で上がった声が耳に入った。

「Oくん、すごーい」

僕はOくんの方に目をやると、Oくんは朝顔のコピー用紙を束にして持ってきていた。

なんだか、変な気分だった。奇異の目で見られるなんてのは勝手な思い込みで、むしろ羨望の眼差しさえ向けられていたOくん。

それに、Oくん以外にも何人かコピー用紙を持っている人たちがいた。

僕はコピー用紙を出しても良いんだという安堵感と、同時に悔しさも沸き上がった。

ちゃんと咲いた分だけ色塗りしてれば、僕のが一番咲いていたかもしれない、と。

僕の成果は結果的に、クラスで真ん中よりちょっと上くらいの量にとどまった。


帰宅後、母親にコピー用紙のことで聞かれた。僕は夏休み中に母の行動に対して怒っていたし、気乗りしなかったことを告げていたからだ。


僕は、提出したことだけ言って、クラスの状況など特に深くは説明しなかった。出来るだけぶっきらぼうに振る舞って、その話は終わった。


それから大人になった今、ミニひまわりを育てみて、この話を思い出した。

お婆ちゃん、お母さん、ごめん。

そしてありがとう。

僕は少しだけ正直になれました。

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