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ナイスライド

「結構な距離走ってるよね」

僕は離れて前を行く謙太に必死で追いついて、息を切らしながら聞いた。

荒川の右岸を東京から埼玉方面へ自転車で北上するなか、僕は初めての長距離ライドの洗礼を受けている。

謙太は声に反応して後方を一瞬確認した。

「そう、あと二時間。大体四十キロで熊谷」

「あと二時間。ちょっと心折れたかも。なんていうかさ、うまく言えないんだけどもう少しワクワクさせるように言ってほしかったよ。難なら時間とか距離とか言わないでもらえたら」

「でもまぁ、これが事実」

ここまで既に三十キロは漕いできた。市街地を抜けて荒川に出てみると、土手は想像してたよりも高い位置にあった。ちょうど電車の高架くらいだろうか。田畑が何百メートルと広がる風景を見られて嬉しかった。都心には絶対にあり得ないし、僕はこんな景色を新幹線の車窓からしか見たことがなかったからだ。

それにしてもお尻が痛い、あと腕も少し痺れる。この光景を安らかに眺められたら、もう何倍かは心が穏やかになれたのに。僕は謙太と違って自転車に関しては初心者だ。軽い調子で彼の提案に乗らなければ良かったと少し後悔した。

どうして謙太は素っ気ないしゃべり方しか出来ないのだろうか。初心者の僕を誘った自覚がないらしく、荒川に入った途端に僕を引き離して先を走っていってしまうのだ。河原をひたすら走ると言われたときは、のんびり会話をしながら乗るものだとばかり思っていた。実際はそれとは程遠く、孤独にペダルを踏む作業の連続だった。

謙太は僕の様子を見てもペースを全く緩めず、同じ調子で進んでいた。僕は力一杯漕いで追いついただけで合わせることは出来ず、再び孤独がお迎えにやってきた。

そして二十メートルほど差が開いたとき、前方のやや右から突風が吹いた。勢い良く車体が左に傾き、咄嗟に立て直そうとハンドルを右に向けようとすると、グリップを握る左手が前に滑った。

「うわ!」

なんとか左腕でグリップを押し付けるようにして体勢を保った。風はもう通り過ぎたので、転倒は避けられた。一連の衝撃を受けて心拍が一気に上昇した。

疲れに任せて苛立ちを募らせていた僕は、我慢の限界に達していた。右手を拳にして、グリップを上から叩いた。

「もう!」

力強く叩いたせいで、威力が腕にも伝わって一層痺れた。僕は漕ぐのを止めて、自然に減速しきったところで足を着いた。

謙太は僕が転びかけた時の声が聞こえたようで、立ち止まる僕の元へ戻ってきた。

「大丈夫か、怪我は」

「なんでもない。疲れた。もう嫌になってきた」

僕は謙太の目を見ずに俯いたまま呟いた。

「そうか。ここで少し休憩しよう」

謙太はおもむろに自転車を草むらに寝かせて、腰を下ろした。僕は謙太が声の届く距離にいるのを良いことに、文句が止まらなかった。

「謙太速すぎるよ。頑張って追いついてもすぐ離れてくし、もっと手加減してくれると思ったのにさ。なんで、初心者と走るっていう思いやりはなかったの?それとも自慢したかっただけ?僕はこんなに速いんだぞって」

言いながら涙が出てきた。本当はこんな言葉をぶつけるべきじゃないと分かっていても、今は止められなかった。

謙太はサングラスを外して立ち上がると、僕に頭を下げた。

「ごめん。全然気づけなかった。優作と自転車に乗れたことが、嬉しくてつい夢中になってた。本当にごめん。」

謙太が珍しく長く喋ったと思って驚いた。僕もサングラスを外して謙太をよく見ると、謙太も泣いていた。僕は言い過ぎたんだ。

僕たちはしばらく沈黙した。謝る謙太に対してすぐに気持ちが切り替えられずにいて、時間だけが過ぎていった。今更なんて話し出せば良いかも分からなくなって、呆然と空を見上げた。

雲一つない快晴、ではなく雲一つしかない快晴。そのたった一つの雲を見て思わず呟いた。

「くじらが、泳いでる」

謙太も見上げた。

「本当だ、くじら」

僕らは顔を見合わせて笑った。

「俺が熊谷まで初めて乗った時、疲れすぎて帰りは泣いてた」

「そうだったんだ」

「優作も、次から楽しくなる」

「うん、また行こう。必ずね」

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