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兎が亀をひっくり返す。

 これは僕が五才かそこらの時。小学生ではないことは確かだ。

 季節は春先。一応、庭付きの一軒家というジャンルに分類される家に住んでいた。

 庭では名前が分からなかったが、拳サイズくらいのオレンジ色の花が咲き乱れていた。茎がよく伸びていて、庭の柵からはみ出して半分以上の花は自重で外にうなだれていた。

 僕は幼き身ながら、仕事があった。それは歩道の落花を箒とちりとりで掃除することだ。桜のように花弁が散り散りになることはなく、拳くらいの花がそれごと着地した状態だったため、五才でもその仕事を請け負えることが出来た。

これを全うすると雇用主である母親から給金が支払われた。子供の作業という生温い効率だが、対価は五円から二十五円ほどだったと記憶している。

ちなみに当時から、令和二年現在の貨幣価値に換算しても五円から二十五円である。(労働基準的に違法かもしれないが、今更なので泣き寝入ることに決めている)

 朝、目が覚めて外に出ると、毎日の作業が夢のように花が歩道に散らばっていた。僕は黙々と掃除をする。

 なぜ毎日掃除するのか、それには明確な理由があった。僕は給金をもらうと、歩いて五分ほどのところにあった文具店に駆け込んだ。おばちゃんが店番をしている今では貴重な個人文具店だ。僕はそこであるものを買った。表にはキン肉マンの様々なキャラクターが描かれたカードだ。一枚五円。紙は少し厚めで、裏には何やら文章と数字と丸や三角の記号がそれぞれに印字されていた。

 僕はキン肉マン世代ではなかった。(数年後にキン肉マン二世が始まった世代)そして五才かそこらの知識では、表に絵が描かれている以外にはそのカードの価値がほとんど分からないのにも関わらず、夢中で集めていた。僕は労働の疲れを、キン肉マンカードを収集するという浪費行為で補う生活を送っていた。

 来る日も来る日も、僕は仕事を終えると文具店に向かった。ちなみに文具店に親がついてきたことは一度もない。一枚で五円とはいえ、中毒的な購買を繰り返す僕を見かねてか、文具店のおばちゃんが「大丈夫なの?」と声を掛けてきたこともあった。僕はただ頷くことで、自分の平常を伝えていた。およそ潜水競技後のアイムオーケーほどの最低限の受け答えだったろう。

 もしかするとおばちゃんは、僕が安値で仕入れたキン肉マンカードを転売して利益を出そうと目論むバイヤーに見えたのかもしれない。おばちゃんは僕を買い被っている。

 落花の季節は文字通り儚い。僕は仕事の減少が目減りしていくのを感じながら、家で収集したカードを眺めていた。このカードを使って何をするでもなく、一枚ずつ順番に確認するだけが、僕にとってのこのカードの使い方だった。カードゲームと称される高度な遊びなどは考える由もなかった。

 そこに僕の三つ年上の兄が現れた。兄は僕がカードを集めていたことを知らず、この時初めて目にしたことになる。そうにも関わらず、兄は僕のカードを手にとって何回か裏返して観察すると、確信したように言った。

「これ、『めんこ』じゃん」

兄は僕のキン肉マンカードを全て取り、手元に一枚だけ残してカード床にばらまいたかと思えば、床のカードを目掛けて手に持ったカードを叩きつけた。

「何するんだよ!お兄ちゃん!」

僕は驚いて声を上げるのが精一杯だった。汗を滲ませて勝ち取った労働の結晶が、暴君の手に渡った絶望感とともにその場で立ち尽くしていた。

「いや、これめんこだから」

兄は何かに取り憑かれたかのように、一心不乱に僕のカードを何度も叩きつけた。情報産業が著しく成長する世界で、格差の底辺に独り取り残されるとはこういうことなのかもしれない。兎と亀など何の教訓でもなく、まさしく昔話だ。今の兎は労せず情報を活用して私腹を肥やす達人であり、余力を十分残して生産出来る象徴に成り代わっていた。

 僕はさながらひっくり返った亀だ。兄は一枚のカード、もといめんこを僕に渡したが、僕はそのめんこを両手でお腹に抱えてしばらく黙ることしか出来なかった。

 気がつけば落花の時季が終わり、動けなくなった亀の腹に最後の一輪が落ちた。

これが本当の腹落ち・・・・・・なんて皮肉な世界だろうか。

僕の記憶にこびり付いて離れない、『めんこ』との遭遇だった。

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