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ピリオド
過去の文章が、言葉が、自分が別人みたいになるのはこれで二度目だった。
何も書かないのが、考え込まないことが楽だと言い聞かせて、そう信じて過ごした日々に対して唐突に虚無感が襲ってきた。
「まぁ、書こうと思えば書けるはず」
この言葉を紙に書いて折り畳んで、首からIDみたいにぶら下げて、それでいて僕は逃げていただけなのかもしれない。
この数ヶ月を振り返った。
少しだけ投稿したこともあった、でも本質的には僕は抜け殻のようだった。
楽しい時間も悲しい時間も、確かに味わった。その気持ちは嘘ではない。
例えば自分の心の中に、複数の自分達がいたとして、その中で一人ぼっちになってしまったのが抜け殻のような僕だろうか。
他の感情と独立した何かがそこにはあって、ずっと時が止まったような様子で佇んでいるのを見て見ぬ振りしてきたのだと、僕は悟った。
そして見事なまでに打ちひしがれた。
そこに他の要因が偶然重なって追い打ちをかけてきた。
疎遠だった古い友人が、創作で有名になっていたことを知ってしまった。
まさか地元の同級生がYouTubeのおすすめに出てきちゃうなんて。
僕は言いようのない不安を覚えた。「応援してる」その気持ちだけ伝えられれば十分なはずなのに、胸がドキドキしっぱなしだった。
この気持ちは何なのか、僕は安心するために必死で探し出した。
そして、部屋の隅で油まみれのうえに埃が貼りついてしまったどうしようもないガラクタを見つけた。
これは・・・・・・、捨てたつもりになっていたプライドだった。
捨てたつもりなら、もう一度きちんと捨てれば簡単な話かもしれないが、正直な話、僕はすぐに動きたくなかった。
そこでようやく気がついた。
僕はこのプライドと共に人生を歩んできたんじゃないか、と。
そう、ガラクタじゃないんだ。僕たらしめる大事な因子。
また綺麗に磨いて、けれど、大切にし過ぎないように。
僕はプライドに過保護になったせいで周りを攻撃して後悔したから、その難しさとも向き合っていけたらいいな。
そう決めて、部屋の隅にほったらかしになっていた心を体に取り込んだ。
温かいようなくすぐったいような、それでいて懐かしくて、嬉しくてたまらなくなった。
友人には「応援してる」とささやかながらメッセージを送った。
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ここまでの経過を単にスランプと言えば、それで済む話だったかもしれない。
でも僕は久々にnoteにきて、再び言葉の力をもらって前を向こうと思えた。
ヒトって素晴らしい、コトバって優しい。
僕はこの気持ちを噛みしめて、また他の誰かにも届いたら救われるんじゃないかって、そう思って投稿しました。
新緑が風に揺られ、元気いっぱいに初夏の訪れを笑ってる。
さつきは僕の誕生日。
自分の抜け殻を見つめながら後ろ向きになるのも少しお休みして。
また、気持ちを切り替えていきたい。