砂漠のダークスターライト
幼稚園の年中の頃のお話。
年に一度の劇の発表会の季節が、今年もやってきた。
これから発表会に向けて、練習が始まるという話とともに、担任のY先生(下の名前)が、クラスで演目を発表した。
僕のクラス、つばめ組が今度の発表会で演じることを仰せつかった演目。
それは「アリババと40人の盗賊」というものだった。
当時その演目が黒板に書かれているとしたら、本来は「アリババと40にんのとうぞく」だっただろう。
そしてその話のディテールも、タイトルがひらがなに直されるように、子供には刺激の強すぎる部分は多少カットされていたと思う。
そんななかで、先生が配役を決めようと、黒板に役名を書き出した。
・アリババ(2人)
・とうぞくのあたま(2人)
・とうぞくのこぶん(8人)
etc...
後はあんまり覚えていない、役の数は物語がどこまで再現されているか、脚色されているかにもよるので、確実な役だけを書いた。
先生は書き終えると、それぞれの役がどんなキャラクターかを説明してくれた。(と思う)
僕は、先生が当時説明してくれたであろう役の特徴について全く覚えていないし、もしかしたら幼稚園の僕やクラスのみんなにはほとんど理解出来ていなかったのかもしれない。
さっぱりとした説明が終わり、先生が順に役の立候補者を募っていく。
『じゃあ、主人公のアリババをやってみたいひとー』
定員は2人、物語の主人公とあって役のプレッシャーもあるが、その分リターンとなる見せ場も尺も長い。
うまくいけば劇団○○わりさんのスカウトの目に留まるチャンスもある役だと思う。
僕は主人公という言葉に魅力を感じないひねくれた性格のため、手は上げなかった。
そんな中、クラスの雰囲気はプレッシャーへの不安感からか、挙手が消極的だった。
少しの沈黙が流れた後、誰もいかないのならと状況を見かねたのか、ある男子2人が手を上げて、大抜擢となった。
次は、とうぞくのあたま。
どうにも引っかかる、いや、引っかからない。
『今度は、とうぞくのあたまをやるひとー』
教室の雰囲気は白けていて、誰も手を上げなかった。夜のタクラマカン砂漠を既に再現出来てしまった僕たちは、スカウトを待つより劇団を立ち上げるべきなのでは、とすら思えた。
先生もこの寒さには多少驚きがあったかもしれない。タクラマカン砂漠と言えば夏は40℃、冬は-20℃まで下がるとても温度差の激しい気候の中にある。その寒暖を、喜怒哀楽に緩急を付けた表現で体現してみせた園児たちに、畏怖の念すら抱くようになっていたかもしれない。
さらにアリババと40人の盗賊といえば、演劇化にあたってどんなに物語が歪曲されていたとしても、盗賊の頭はナンバー2の役どころではないか。
むしろ、この物語ではアリババなんかよりも、キーマンとしてのはたらきが、今では影のナンバー1ではないかと再評価での賞賛も多い。
しかし、僕らは単純に心の中で『あたまってなにそれ』と思っていたに過ぎず、理解出来ないのでスルーしていたのだった。
そしてお待ちかねの、とうぞくのこぶんだ。
先生が呼びかけようとした瞬間だった。
園児たち『はいはいはいはいはい!』
僕を含めたほとんどの男子が手を上げた。まさに「とうぞくのこぶん」の一文字目、「To」読み上げる時の、Tが「音になる前の音」を明確に感じていた。僕らは競技かるたのスカウトも待っていた。
役どころが一番分かりやすかった。当時の感覚でいえば、「ヒーローがお決まりで絶対勝つんでしょ」という展開になんとなく飽きが来ていたように思う。
だからこそ、ロケット団的な気楽な悪役に興じることが、一番そのしがらみから解放されるように見えていた。盗賊の子分なんて、壺の中で殉職するシーン以外の見せ場はなくとも、僕らは刹那主義者だった。
結局、定員オーバーのまま話がまとまらず、とうぞくのあたま、こぶんの配役は決定しなかった。
その日の夕方、僕は幼稚園のサッカークラブの練習で園のグラウンドを駆け回ったあと、帰りがけに通ったつばめ組の教室の前でこちらに手招きする先生の姿を見かけた。僕はプロサッカーのスカウトも待っていた。
先生の容姿は今考えると、色白で髪の毛はセミロング、目を少し眠そうにしたきゃりーぱみゅぱみゅと坂口健太郎を足して、後は気になるところに稲森いずみのエッセンスを振りかけたような顔立ちで、夏のプールの時には水色のペディキュアが印象的だった。
先生は、僕に優しい声で頼んできた。もちろん、とうぞくのあたまになって欲しいというスカウトだった。
僕は先生がいくら美人でも、まだドキドキするほど成熟していなかった。
しかし、何かを頼まれたときに相手をなるべく不快にしないようにやんわり断る社交辞令を使いこなすほど成熟していなかった。
結果、つばめ組でサッカークラブに入っていた、僕とその後同じように手招きされたS君の2人が晴れてとうぞくのあたまに就任した。
それから、決まった役の重さの自覚のないまま、演劇の練習は進んだ。
ついに当日、僕らとうぞくのあたまは、夜アリババの家に泊めてもらうことを頼むミュージカル的ダンスを淡々とこなして、発表会は無事に終了した。
役を選ぶ前は目立ちそうな役に強くプレッシャーを感じていたのに、役が決まってから劇が終わるまで、自分の視界の映像が記憶に全く残っておらず、その時の自分は恥ずかしさを感じていなかったのか、とても不思議な気持ちになる。
資料として、S君の家にあったビデオを見て、こんな大役を僕が演じていたのかと、他人事に思えるほどだった。
兎にも角にも、こうして雇われ盗賊の頭の任期を終えた僕は、再びいつもの自分に戻り、舞台の上で目立つような役回りはとりあえず避けるように生きてきた。
そして現在、思い返せばここまで全てのスカウトの目に留まることなく、人生を過ごしてきたことに気付かされた。
また、盗賊になってみようかと思う。