風の行く末
七月某日。
ベランダから見えるうちのマンション(六階建)と同じくらいの大きな木に梯子が掛けられた。
枝という枝が全て切られたのだ。
僕の投稿でもしばしばアイキャッチに持ってきたことがあったこの木。
僕の部屋は四階にあるけれど、ベランダにはよく落ち葉が舞い込むため定期的に掃除をしたり、台風の際には小枝が飛んでくることもあるなど、イメージしていた四階らしからぬ生活を強いられる木でもあった。
もちろん良いこともたくさんあった。
野生のインコが巣を作り、穏やかに晴れた日にはさえずる声が聞こえる。
風の強い日だって、窓を開けなくても木の揺れる様を見て、出不精な僕でも自然を感じることが出来た。
そんな枝が切られることについては、安全面を考慮すれば、まあ納得感もなくはない。
こうしたときに、喪失感と安堵感が入り混じるのは、よほど人らしいのかもしれない。
さっきまで泣いていたのに、いま面白い出来事があったとして、それで笑ったからといって悲しみが癒えたわけではないのと同じように。
それぞれが独立している。
僕らはその度合いを短い言葉で忠実に表現する術がないというか、「複雑だ」と言えば経験則によって相手に補ってもらうことが出来る程度にしか説明する能力を持たないような気もしてしまう。
七月某日。
同居する彼女から引っ越ししようと言われてから目まぐるしく行動した。
元々もう二、三年後くらいかな、と話していたつもりだったのだが。
でもそんな衝動的な発想に委ねてみるのも楽しそうな気がして、この一ヶ月はとても忙しかった。
この部屋には三年弱、杉並区には累計で五年強住まわせてもらった。僕の二十代を象徴する第二のホームタウンであることはこの先ずっと変わらないだろう。
いよいよ引っ越し当日を今週末に控えて、事前の事務処理も全て片づいた昨夜は、連日の溜まった疲れに逆らえず早々に眠りについた。
あまりに早く眠ったせいで、今朝は六時前に目が覚めた。
布団からソファに場所を変えて、また横になってぼんやりと窓の外を見つめる。
風で揺れなくなった木の代わりにその後ろで、もーんとゆっくり移動する入道雲が見えた。