Dは発音しないんだ。田舎者。【ジャンゴ 繋がれざる者】
米を炊くとき、何合目まで入れたかを忘れるのいい加減やめたい。
「自分の人生の主人公が自分であるということは自明でも何でもない」と昔の偉い人が言ったらしいが、まさにその通りだ。
米もろくに炊けないやつが、主人公なわけない。
世の中には主人公気質な人がいる。
いわゆる赤色属性。戦隊モノで、学校の教室で、会社の組織でセンター陣取ってるやつ。
自分は明らかに違うなと感じる。
色で例えると自分は黄色っぽいなと思っているが、黄色でセンターは見たことがないし、戦隊モノでも前に出ていくタイプじゃない。
黄色であたま張ってんのストレッチマンぐらいだろ。
てかあの人ピンか。やっぱりね。
まあともかく、主人公ふさわしい属性は色々あるが、「復讐を果たす者」もその一つだろう。
今回は「ジャンゴ 繋がれざる者」の感想をつらつらと書いていきます。
映画ってどこまでいっても娯楽だよな
個人的にタランティーノ映画を全部見ようと思っているが、公開順ではなくて、気の向いた作品から観ているので、「パルプ・フィクション」、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」ときて、「ジャンゴ 繋がれざる者」は三番目に観たタランティーノ映画になる。
まだ3作品しか見てないけれど、それぞれに共通している部分は「娯楽としての映画」であるところだと自分は感じた。
フィクションだから拳銃でアソコをぶっ放せるし、火炎放射器で人を丸コゲにできる。
圧倒的な暴力なのに手をたたいて笑っちゃうような描写。
それは多分、突拍子もなくて現実には起こりそうにないからだと思うけど、実際には奴隷制度があったし、昔の戦争では火炎放射器が使われて、アメリカは今も銃を手放せない。
現実は映画よりもはるかに暴力に満ちているのかもしれない。
ジャンゴももれなく暴力に満ちた映画だけど、殺され方が大喜利っぽくて笑ってしまう。
笑ったあとに不謹慎だなと思いつつも、爽快感にあらがえない。
「娯楽」として映画を楽しめる身分はめちゃくちゃ幸せかもしれない。
口に出して言いたくなってしまう名セリフ
終盤の復讐で、ビリーに対して放つ一言。
このセリフを言いたいがために、自分の名前にDをつけたしたい。
いちいち洒落ているというか、いかにも洋画の決めゼリフって感じで口にだしたくなってしまう。
イケてる会話劇やセリフは、間違いなくタランティーノ映画の魅力の一つだと思う。
登場から終盤まで、飄々としながらも切れた頭で人をうまく出し抜くようなシュルツが、最後の最後には侮辱に耐え切れずに相手を撃ってしまって返り討ちにあう。
行動の一貫性の無さがいかにも「人間」って感じがして、より一層キャラクターに厚みが増す。
これは名ゼリフというか迷ゼリフの一つ。
というかこのシーンめちゃくちゃ大好きで吹き替え版が神がかってた。
日本の作品だと、福田監督作品(勇者ヨシヒコとか)の雰囲気に近いというか、あほすぎてシュールな感じ。
佐藤二朗がまぎれていても多分問題ない。
この部分だけ5回くらい繰り返し観て、ゲラゲラ笑ってしまった。
終わりに
つぎは「ヘイトフルエイト」を見ようかと思う。
なんだか雰囲気が似てそうだし。
でもやっぱり「キル・ビル」は押さえておいたほうがいいか?
色々悩みまくってますが、観終わったらまた感想書いてみます。
それでは~