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アンドロイド転生1175
2126年12月25日 深夜1時
緩和ケア病棟 サキの個室にて
サキは急性の劇症型肝炎と診断された。ある日突然発症する。肝臓が壊死しており機能を果たさない。そしてサキの体力ではどんな治療も耐えられず、今はもう成す術がなかった。
入院して直ぐに食事は殆ど摂れなくなり身体は瞬く間に骨と皮になった。だが腹部は大きく膨れ上がっている。腹水は採取してもすぐに溜まるのだ。その姿はまるで餓鬼のようだった。
5日前に緩和ケアルームへ移動した。一昨日までは家族と笑顔で過ごしていたがとうとう痛みに耐えられなくなった。モルヒネは最大量を投与され意識が混濁するようになった。
「ケイは…?どこ…どこ…」
ケイはサキの手を握りめている。
「僕はいるぞ!ここいる!」
「そう…?」
サキは目を瞑り、また微かに開く。
「ノアは…?幼稚園…迎えに…行く…」
「ママ!ノアはここにいるよ!」
「え…そう…?」
昨日からサキの意識は概ね障害されており、いつも目を閉じて何も語らない。だがたまに口を開くと場にそぐわないことを言い出した。2人は否定せず何でも受け止めた。
15日に病院に訪れて僅か10日目で命の灯火は消えそうだ。横たわり動くことも出来ない。肌は黄色く瞳はどんよりとしている。吐息から腐臭が漂っていた。いよいよその時が来たのだ。
旅立ちを見送るのは夫と娘だけ。両親はいない。ホームは連日猛吹雪で下山など出来やしない。遭難する恐れがある。だからケイは見舞いを断わった。2人は悔し涙を流したものだ。
サキは虚な目を宙空に彷徨わせケイを見た。
「お父さん…?あれ…?いたの…?」
どうやら勘違いしているようだ。ケイは父親のヒロシの声音に切り替えて応じた。
「会いに来たぞ。何か言いたい事はあるか」
「お母さんに…優しく…してよね…絶対…だよ…」
「うん。うん。約束するからな」
「良かったぁ…。ハ…ハ…ハ…」
サキは嬉しそうだ。そしてその後何も話さなくなった。肝性脳症という意識障害を起こしたのだ。医師アンドロイドがケイに覚悟せよと告げた。ケイは頷いたものの、その顔は苦悩に歪んだ。
・・・
30分後
ふとサキは瞼を開いた。
「ケイ…?」
ケイは驚く。話せるとは思わなかったのだ。
「うん?」
サキは微笑んだ。
「初めて…タウンに来た時…客船を…見たね。外国に…行くんだって知って…羨ましかった…」
「行こう。今度…皆んなで行こう」
「うん…ノアは…赤ちゃんだけど…大丈夫かな…」
「ママ!ノアは赤ちゃんじゃないよ!」
「そう…?そっか…きっと…楽しい…ね」
「うん!楽しいよ!」
サキは一度目を瞑ったもののカッと見開いた。瞳が爛々としている。2人は驚いた。
「おと…さん…おかさん…なが…いき…ノア…むす…ありが…ケイ…だいす…あ…てる…」
それからサキは昏睡に陥った。もう2度と話すことはなく息を荒げて目を瞑っていた。ケイとノアがサキの手を撫でたが、まったく力がなかった。少しずつ呼吸の間隔が空き始めた。
そして約3時間後の25日の夜明け。サキはこの世から去った。ケイもノアも涙が止まらなかった。何度も名前を呼んで抱き締めた。イエスキリストが生まれた日にサキは死んだのだ。
※サキとケイが旅客船を眺めたシーンです