[書評] 英語ヒエラルキー 著:佐々木テレサ
本書はEMIプログラム(母語が英語でない地域で英語を教えるプログラム)を大学で受講した学生たちのその後について語られている。
一般的にこのようなEMI教育については英語力が向上する、多様な価値観に触れることが出来るなど良い点ばかりが目に付くが、本書ではEMI教育を受けた後の留学、そして社会人生活までを含めたある程度の時間スパンをもった評価を行っている点が異なる。
対象となる学生は早稲田大学の4名の学生+筆者の合計5名を対象としており、対象者は少ないもののインタビュー形式で各々の心情の変化を深堀しているため、その点では読み応えがあった。
この本を読む前の私自身も、早稲田の国際教養学部のようなところで英語を学び、学生時代に1年間の留学を行う人材はやはりどの企業も欲しがるグローバル人材そのものであり、多様かつ変動が激しい今後の時代においては必須の人材になるのだろうと感じていた。
しかしこの本に登場する人たちに共通する想いは、母国語である
「日本語への不安」
という一見すると意外なものであった。本書に登場する大半の学生は純ジャパであり、学びを深めている英語ではなく、母国語である日本語を使用することに不安を覚えているというのは興味深い観点であった。
まとめると彼らは次のようなことで不安を感じていた。
①日本語使用の不安
②日本語使用を前提とする社会規範との不和による、他者からの否定的な評価に対する不安
である。
なぜこのような不安が発生するのかを詳しく見ていく。
まず、EMIプログラムでは学生たちは全ての授業を英語で学ぶため、単純に日本語に触れる機会が少なる点にある。さらに大学は学問機関であるため、本来はアカデミックな文体や論調等を研究室やゼミで学ぶところを、彼らはすっとばして社会人になるため、その急激な高低差に戸惑うことになり、不安を感じることになるという。
しかし、それらを差し引いても彼らには英語という突出した武器があり、その武器を用いて会社内の仕事をこなせばよいではないかと思うが、そう単純な話でもない。
そもそも冒頭でグローバル人材と書いたが、企業の欲しがるグローバル人材と学生たちがEMI教育や留学等で培ったと感じる力との間に大きな齟齬があるというのが本書で強調されている。
学生たちは、英語という語学力のみならず、思考や態度においても柔軟性・多様性を備えた人物こそがグローバル人材であると位置づけている。しかし日本の伝統的な企業(JTC)の就職面接においては、大半がTOEICや英語検定などの目に見える数字や○○大学国際教養学部卒業、海外の○○大学へ留学といった目に見える範囲でのみジャッジを行う。
さらにいざ入社してみて英語をバリバリ使っていくのかと思いきや、図面内の日本語→英語の誰にでもできる通訳のような仕事であったり、日本独自の同調圧力の激しい文化に辟易してしまうなど、入社前後でのギャップも彼らを苦しめる。
また本書には「今の日本では英語が過大評価されている。」と書かれていたが、これは私も感じている。英語自体はただのツールであり、英語を用いて何がしたいのか、成し遂げたいのかまで想像を膨らませないと、単に海外=キラキラしているというところに幻想を抱いたたまま、将来的にその幻想に自分自身が苦しめられることになる。
日本人としてのアイデンティティがあるのに、日本独自の古き悪しき風土や企業文化のせいで多様な考えや価値観を持った帰国子女や留学を行った人材が日本に見切りをつけ、外資企業に流れ、日本の国力が低下してしまうとは何て笑えないお笑いなのだろうか、、
個人的にはこんな人物になりたい、こんなキャリアパスを歩みたいといったロールモデルを提示できない企業には、そういったグローバル人材を受け入れる環境は整っていないのではないかと感じる。企業の説明会などでは、大層なことを語られるが、一個人としての人生をどのように進めていけるかについては自分で考える必要がある。そのときにLinkedinや大学のキャリアセンターを駆使し、自分の描きたい人生と同じコースを進んでいる人を見つけられれば、少なくとも孤立感や疎外感といった負の感情ではなく、未来への期待や成し遂げたい強い熱量といった正の感情が生まれてくるはずだ。
また彼らは大学で英語をツールとして浅く広く学んできているため、これといった専門性を持っていないことが挙げられる。しかしそういったハードスキルはなくても、世の中の大半の仕事には複数人数間の仕事のやりとりを調整し、物事を前に進めていくという調整力、交渉力が必須であるため、グローバル人材である彼らの他社理解の精神や物怖じしない性格は有利に働くだろう。
高校時代までに存在していた英語ができるという自負も、上には上がいる環境のEMIプログラムで傷つけられ、社会に出てからは母語である日本語が変であると周囲の人から指摘される。しかし、学生時代にそういった叩きのめされて自分はどん底にいると自覚した経験のある学生は、挫折と同時に自分の見ていた世界は世界の中のほんの1パターンの解釈でしかなかったことに気づく。そこでもう一個高い視座を獲得できれば、グローバル人材だけでなく日本企業を引っ張て行くリーダー人材をして活躍してくれるだろうと期待する。
この本を読んで、自己肯定感を保つための材料はどれか一つに依存せず、多方向に分散しておく方が、凡人の自分の生存戦略となりそうだと感じた。