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ほしいのは、伝えたいのは、ごめんねという言葉。

明日で私は50歳になる。

実年齢よりもかなり精神年齢が幼いまま、今日まで来てしまった。

誕生日に特別な思いはないけれど、節目の年だから、自分のために何かしたいとは思っている。

家族に一緒に祝ってほしいという気持ちより、一人で好きなことをして自由に過ごしたいという気持ちが強い。

家族。

母とは今まで一度も離れて暮らしたことがない。

結婚しても子どもが生まれても、母と同居を続けてきた。

人からは、実の母親と同居していることをうらやましがられたりもする。

そりゃ、遠慮なく言いたいことを言える実の親と同居していることは、恵まれているのかもしれない。

それでも、私にとって年々、母との関係がしんどくなっている。

母をしんどいと感じるのは、母が私の境界線やパーソナルスペースに入り込もうとするとき。

自分だけの領域、居場所、自由でいられる場所を守りたくて。

私は母に対して大きな声をだして怒ってしまう。

私が大声で怒っても、母からは軽蔑の目で見られるだけ。

うんざりした顔をされるだけ。

私がほしいのは、
「ごめんね」という言葉。

「あなたの領域に勝手に踏み入ろうとして、ごめんね。」
「気づかなくてごめんね。」
という言葉。

ありがとうの言葉よりも、ごめんねが聞きたい。

謝ってもらっても、意味がないと言われるかもれない。

ごめんねよりも、ありがとうの方が尊いように言われることの方が多い。

それでも、私が母から聞きたいのは、いつでも「ごめんね」の言葉だ。

「勝手に決めないで」、「あなたの考えを私に押し付けようとしないで」と叫んで抵抗しても、母には気持ちは届かない。

汚いもの、醜いものを見るような表情で私を見るだけ。

子どもの私は、いつも気持ちが満たされない。

離れて暮らすことができたら、どんなに楽になれるだろう。

母とは向かい合って、対話というものをしたことがない。

こころの中の素直な気持ちを伝え合うこともできない。

親子でも。できない。

家族のかたちは、人それぞれだから、他人になにかを言われたくはない。

他人から、その人の想像だけで、それはあなたの甘えだとか、自分を産んでくれた親なんだから大切にしなければダメだとか言われるのもしんどい。

自分を否定されたように感じるから。

いまは母と分かり合って、素直に話せる関係になろうとは思わない。

ただ、心理的にも物理的にも距離を取りたいだけだ。


その一方で、心理的な距離をもう少し縮めたいと思っている人がいる。

私の父だ。

私の両親は、私が中学生のときに離婚した。

幼いころから両親が言い争う姿ばかり見てきた。

父はよく母に暴力をふるっていた。

母は私に対してするように、父のことをバカにするような態度を取っていた。

だから、父は自分を守るために暴力をつかった。

暴力が正しいやり方だとは思っていないが、そうでもしなければ父は自分を守ることができなかったのだろうし、どうすることもできなかったのだろう。

父にも、目の前に自分の気持ちを理解してくれる人がいれば。

私は両親の離婚後、父から逃げるように母と二人で暮らしていた。

母と一緒になって、父を憎むことしかできなかった。

父には自分が結婚したときも、子どもが生まれたときも連絡をしなかった。

父とはもう会わない。
私に「父はいない」ことにしていた。

けれども、5年前に急に父に会いたくなって、夫と子どもを連れて会いに行った。

そこから父には、たまに会いに行ったり、連絡を取り合うようになった。

ここ2年くらいは会えていないが。

今年は一人で父に会いに行きたいと思っている。

幼いころ、私から見た父の印象は「無口な人」だった。

母に暴力はふるっても、私に対してはいつも優しかった。

その父と向かい合って、対話をするのが夢だ。

母と対話をしたことがないように、私は父とも対話をしたことがない。

私のいう「対話」とは、対面の会話という意味ではなく、本音で素直な気持ちで話をすることだ。

実際は、父と二人だけで何を話していいか分からないだろうし、対話は夢で終わってしまうのかもしれない。

それでも私から父に伝えたい言葉は、「ごめんね」だ。

子どものころ、なにも分からないまま、お母さんと一緒になってお父さんを嫌ってしまってごめんね。

その気持ちを伝えてみたい。


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