”できない”ではなく、”やることが山ほどある”ということらしいから、どんどんやるしかない

「できない」が増えてきた

広告代理店で8年くらい、転職してクリエイティブエージェンシーで5年ほど働いてきた。自分なりにやってきたつもりだけれど、近頃「できない」ことが前よりも増えている気がしてならない。

なんで「できない」が増えんねん!とツッコミたくなるような事が多々あったり、やってもやっても「できない」ことに、辛くなったりする夜が来る頻度も増していっている気がする。

そんな「できない」と向き合う日曜のしんどい夜に、やらなくちゃいけないことを書き出してみた。たしか66個くらいやらなくちゃいけないことがあって、軽めのゲロを吐いた。

そんな時、ふと頭に浮かんだ。

「できない」=「やることが山ほどある」

なんだなと。できないできないと頭を抱えている暇など本当はなくて、「できない」を抜けるためには、山ほどある「やること」を1つ1つやらなくてはいけない。自分が「できること」になるまで分解して、やり続けるしかないのだなと。

では、「できる」ってどんな状態だよ!と自分に問いかけてみた。まだまだ言葉の解像度を高める必要があるけれど、

「できる」=「山ほどあるやることから、今やらなくていいことが分かる」

ということで、すなわち、

「山ほどあるやることから、今やらなくていいことが分かる」=「やることを1つに絞ることができる」

ということでもあるのだろうと思った。たしかに1つに絞れば「できる」ことはある。ボウリングのピンを全て倒す時に手前のセンターピンに集中するように。それは時にシンプルで当たり前すぎることだったりする。あいさつとか、掃除とか整理整頓とか、わからないことを聞くとか、お礼を伝えるとか。できるのにやっていないことが多かったりする。

「できない」という事が頭に浮かんで、胸が締め付けられるような時は、だいたい「できる」ことを軽視している。山ほどあるやることから、今やることを見定めるとことができないくせに、何からやれば効率がいいだの、熟練の人はこんな簡単なことやらないだの言い訳して、「できる」ことすらやろうとしない。そんな自分を良く見かける。特に最近がそうだ。

「できない」と、よく目が合う。その頻度は年々、日に日に増えていっている。それはすなわち「やることが山ほどある」ということに他ならない。そう考えられるようになり、いくばくか気持ちは楽になった。山ほどやればいいのだから。そして、どんな時もまずは本質的で基本的な「できる」ことはあって、それを自分が選んで行動することができる。その結果で、「できない」ことが「できる」ことに変わったらいいなと思う。

そしたらまた、「できない」ことが現れて、「山ほどやることあるな」と絶望したくなる時がきっとくる。ただ、「できる」ために「山ほどある沢山のやること」に気づかせてくれる増やしてくれるきっかけを与えてくれたのだと思うこともできる。

やっぱり「”ムリ”ではなく”ムズカシイ”である」である

こんなことを考えていたら、そういえば僕の大好きなハイキューの木兎光太郎がこう言っていたことを思い出した。

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試合内容をフィードバックして練習で確実にしていく
いつもやってることじゃん!
(中略)
”ムリ”ではなく ”ムズカシイ”である!!

引用:古館春一「ハイキュー」337話

「できない」ことを「山ほどあるやること」に分解して、1つずつ「できる」ようにしていく。それは、とても”ムズカシイ”ことではあるけど、”ムリ”なことではない。やっぱり、木兎ってば天才だなあ。「できない」と思ってしまった時、こんなこと考えながら、そして、この台詞を頭に浮かべながら、山ほどあるやることに向き合うことにします。

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引用:古館春一「ハイキュー」337話



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