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作業マニュアル(手順書)と暗黙知


作業マニュアル作成の目的

 人事異動や人員削減にともない作業マニュアルを作成し、新人を早期育成することが、最近の傾向として求められています。これは、「暗黙知(あんもくち)」を「形式知」に変換することでもあります。「暗黙知」とは、知識や技術が個人の経験や慣習に依存する文化であり、「形式知」とは、すべての知識や手順を文書で明確に示す方法です。この変換は、自分の作業手順を見直すことであり、意外と時間がかかります。一方で、この変換が完全にできるかどうか、私は疑問に思っています。

マニュアル作成のプロセス


 マニュアルが作成され、運用される際には、以下の様な流れになる事が多いと思われます。

  • 管理職がマニュアル作成を指示する

  • ベテラン社員がマニュアルを作成する

  • ベテラン社員が退職

  • 新人がマニュアルを読んでも対応できない問題が発生する

  • 機械が止まり、メーカーのアフターサービスに連絡する

  • マニュアルの改訂を指示するが、進まない

作業マニュアル作成の課題


 なぜ、上記の様な問題が生じるのでしょうか? 一般的に、管理職は「普段やっていることを記録するだけで簡単にマニュアルが作成でき、その後は誰でもマニュアルを読めば作業ができるようになる」と考えがちです。しかし、少なくとも下記の様な課題が2つあります。

「説明できること」と「手順を守ること」


 マニュアルを作成するためには、「なぜそのようにするのか」を説明できる必要があります。しかし、理由は説明できないものの、「この方法の方が、成功率が高い」と感じることもあります。これは説明できないため、マニュアルに書けません。
 また、マニュアルには手順性があり、手順を守ることが求められます。しかし、現場では、状況に応じて手順を変えることがあります。この変更は、時には気分によるものかもしれませんが、合理的な理由で場合分けされることもあります。つまり、自分の作業手順を無意識に行っているため、説明できないのです。これもマニュアルには書けません。
 管理職から説明や手順の問題点を指摘されると、マニュアル作成がなかなか進まなくなります。そのため、現時点では、説明できることだけを書きます。このように作成されたマニュアルは、形式的なものになってしまいます。

書ききれないから書けない


 さらに、マニュアルにはメンテナンスやトラブル事例も文章化する必要がありますが、不十分な書き方だと管理職に指摘されて、記載しなくなります。その結果、マニュアル作成では「機械の取扱説明書を見よ」や「メーカーのアフターサービスに連絡せよ」といった無難な表現にとどまってしまいます。

マニュアル化の弊害


 また、作業者の中には「マニュアル通りにやったのに機械が動かない場合、それは自分の責任ではない」思う弊害が生じてきます。この考え方は「責任逃れ」の文化を生むことにつながります。 このようにして、マニュアル化による弊害が蓄積していきます。

自分の役割は何か


 「形式知」がスタンダードとされる世の中では、自分の役割が明確化されている環境ほど、前述のような問題が起こりやすくなります。例えば、「暗黙知」の環境では、修理に来た技術者の作業を観察し、質問をしながら学んでいました。しかし、「形式知」が重視される環境では、修理に来た技術者に任せることが正しいとされ、観察や学習が行われなくなります。

マニュアルの更新の必要性


 また、一度作成されたマニュアルを続けることは稀で、マニュアルは常に更新が必要ですが、その作業には多くの時間と労力がかかります。これを通常の業務に加えて行うと、現場が疲弊する可能性があります。

 これらの理由から、マニュアル作成がうまくいかないことが多いのではないでしょうか。

【暗黙知(あんもくち)】について
従来の日本企業には、職員が有するコツやカン、ノウハウなどの「暗黙知」が組織内で代々受け継がれていく企業風土・企業文化を有していた。そうした暗黙知の共有・継承が日本企業の「強み」でもあった。しかし合併・事業統合・事業譲渡・人員削減など経営環境は激しく変化している。加えてマンパワーも派遣労働の常態化、短時間労働者の増加、早期戦力化の必要性など雇用慣行の変化により「同一の企業文化の中で育ったほぼ均等な能力を持つ職員が継承していく」といった前提は崩れ、このようなステマに変化しつつある。このため現場任せで自然継承を待つだけでなく「形式知」化していくことが必要とされる。その方法として文章・図・表・マニュアルなどがある

wikiより引用


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