九月劇場怖いコント「東京ではないところ」 そういう世界観
昔働いていた職場の先輩に「人のトイレの頻度と時間をチェックする人」という人がいた。私は
「え、誰がどのくらいトイレに行っているかなんて気にしたことないですよ。」
と笑ってごまかしたものの正直ドン引きしていた。けれども、そのうち「トイレの頻度と時間」に基づいた陰口は職場の中で市民権を得て「今日も終業5分前にトイレに立ったわ」とか「あの人ほんとトイレ長いのよね」などと人のトイレチェックが日常となり、それを見聞きする私もその職場ではトイレに行くのも非常に気を使うようになってしまった。
本当にあほくさく、そしてなぜそんなにトイレにとらわれたのか謎だった。でも仕方ないのだろうと今は思う。
その職場は「そういう世界観」だったのだから。
「東京ではないところ」(ネタバレあり)
漬け物屋を営むさくらの実家に行った池田。「ここ以外は全部東京なんだ。私はそういう世界観なんだよ。世界観だから誰も何も言えないやつだから。」と言い出すちょっと変わった家の人。なにかにつけ「そういう世界観だから」と言い出す。
とはいえ、漬け物屋なだけあってお茶うけに出された漬け物は辛口だがおいしい。きゅうりでもナスでもここで育ったものは何でも漬け物になるらしい。なにかにつけ「ここはそういう世界観だからね」と話す少し変わった家の人だが、漬け物はおいしいし、アルバムを見つけたのでそれを眺めていた。アルバムの女の子を見ていると家の人が「これれはさくらじゃない。さくらのお姉ちゃんのみゆだよ。」と。
姉?姉なんかいただろうか。
「うちでで育ったばっかりに……」
おわかりいただけたでしょうか。わからなくてもわかってもぜひ動画をどうぞ。4分50秒の作品です。最後ちゃんと気持ちが軽くなるようなオチがついているので安心してください。
そういう世界観
凄惨な事件や、行き過ぎた行動によって起こされた事件などをみるにつけ「なぜ、途中で思いとどまれなかったのか」と思うことがある。
と同時に「私はその渦中にいたら思いとどまることができるのだろうか」とも思う。
その集団の世界観に染まらなければ生きていけない環境、時代などはいつの時代にも場所にもあり、それがいつどこで待ち受けているかわかない。そういったことを考えると得も言われぬ恐怖を感じる。
前述のトイレの話なんかも、トイレの回数などを職場で制限するような行為は法律違反で、その職場はいわば治外法権状態になっているのだけれども「そういう世界観」なのだ。そうこうしている間にトイレの回数が楽しくなってきて、トイレの回数のカウントをやめられなくなったのだろう。
事件になるならないに関わらず、このようなおかしさや狂気は日常のすぐ横にそれこそ自分の家の習慣にもあるのだろうし、隣の家にもあるのだろう。
なんてことをこちらのコントを見ながら、というか見終わった後にじわじわと今も考えてしまいます。
このコントを見て読んでみようと思った本
じわじわと色々考えていてふと思い出したんですが
星新一の「マイ国家」。こちらも確かそんな話だったような。子供の頃に読んで、その恐怖感を鮮明に思い出せるのですが詳細を忘れているのでまた読み直そう。
あとはやはり、おろおろ草紙。こちらは読んだことがなくて、昔あらすじを聞いて「うぇえ」と思って絶対読まないだろうと思っていたのですがやはり読んでみようかな。なんというか、その世界観は私から遠いものではなく、地続きでふとした時に足を踏み入れるのだろうと思うと、おろおろ草紙の話も「うぇえ」だけではない読み方ができそうな気がする。上のリンクのレビューもよいこと書いてるし。
以上、九月劇場の怖いコントでした。本当は怖いコントまとめを作りたかったのですが、「東京ではないところ」の余韻がとても良かったので。怖いだけではなく、ちゃんとオチがあるので、安心して見れますよ。
にしても、さくらちゃん、身内がなかなかひどいなぁ(笑)
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来年またなにかやれたらいいな