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本当の人生が始まる時

「人生から、レポーターがいなくなる時、本当の意味での自分の人生が始まる」

 これは、私が尊敬する方に話して頂いた言葉です。

 あ、その前に、「UWMA」について一言言わせて下さい。見せるところと、見せないところのさじ加減が絶妙。有難うございます。続きも、楽しみに見たいと思います。←ようやく最終話まで見る覚悟がつくまで、魂の修行をしたらしい。

 で、最初の言葉に戻ります。その時、私が以前よりも人に良く思われたいとか、完璧な自分を演じなくてもいいんだって思えるようになった、失敗するのが怖くなくなったという話をさせて頂いていたのです。その時に、冒頭の言葉のお話をして頂きました。

 そのお話を聞いた時に、物凄くその言葉が心にきて、きっと一生この言葉は忘れないだろうなと思いました。考えてみれば人は、著名人などではなくても、確かに様々な人にレポートをされています。

「ねえ、好きな人いる?」

「どこの大学に行くの?」

「長期休み、どこに行くの?」

「今、誰と付き合ってるの?」

「私、〇〇の事☆☆だと思うんだけど、あなたはどう思う?」

「就職、どこ狙ってるの?」

「結婚式、どこであげるの? 国内? 海外? てゆか、旦那さんになる人の会社、どこ?」

「どこのブランドの化粧品使ってる? お洋服、買ってる?」

 その方に言われて初めて気付いたのですが、確かに私たちは普段の生活の中で、様々な質問を受けているのです。その質問者を、その方は「レポーター」と評したのでしょう。言いえて妙だな、と思いました。その「レポーター」の方々は、家族や親友のように、本当に私の事を考えて問いかけてくれる人ばかりではありません。それでも、その近しい人以外の「レポーター」の目にどう見えるか、どう答えたり行動したら、「レポーター」を満足させられるのかという事を、全く無視して生きてきたか? と問われれば、私の答えは、「いいえ」でした。本来なら、言葉は悪いかもしれませんが、自分の人生にそれほど関係のない立場の「レポーター」の目に良く映る必要はありません。だから、彼女・彼達の質問に、自分を偽ってその人達が望むような言動をしたり、どうしたらその人達に自分がより良く見えるかなんて気にする必要なんて、全くなかったのです。でも、少し前の私にはそれが出来ませんでした。今となっては本当に恥ずかしい話なのですが、以前転職する時でさえ、転職する前の職場の人に、「凄い」と思ってもらえる会社である事が選択基準の一つに入っていました。今考えれば、馬鹿らしい話です。選択基準は、ただ一つだけで良かった。

 自分が納得し、好きな事が出来る場所。

 それを基準として選んだ今の職場は、楽しくて面白いです。だからきっと、人生の全てにおいてそうなのだろうなあと最近思うのです。家族や、大切な人の意見は聞きます。信頼関係を築いている、仕事関係の人の意見も聞きます。そして、最初の言葉をかけてくれるような私が信頼している人の言葉も聞きます。そして、それを受けて私が何を選択していくのかは、私自身が責任を持って決める。それで、いいのだろうなと思うのです。それ以外の第三者の人達(レポーターですね)も、色々と言ってくる事はあるでしょう。でも、その人達が私の人生の責任を取ってくれるわけではない。それをきちんと理解しておきたいなと思うのです。

 自分が好きだと思う事。自分がやりたい事。それを行う為に、学び、行動する事。

 今、私が大切にしたいと思う事です。沢山失敗してもいい。笑われてもいい。人の目を気にして、やりたい事をやらない事の方が、余程怖いな、と思うからです。例え失敗したとしても、「経験」という財産は残るし。だから私は、私の感情を大切にして楽しみながら進んで行きたいと思うのです。

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