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「喜怒哀楽」 その選択は正しいのだろうか。 【首藤誠人】

初めまして、スムっとの首藤誠人(しゅとうまさと)と申します。


演劇で最も大事なものの1つ、感情表現。

人間の基本的な感情を表す言葉、
「喜怒哀楽」。



「喜」と「楽」、近すぎではないだろうか。


溢れ出る親戚感。

いちばん遠い場所に配置して誤魔化しているのだろうが、その遠さがむしろ誤魔化しを強調して、どうしても気になってしまう。

君達、お正月にお屠蘇注ぎ合ってるだろ。


ふたつの違いは分かる。
「喜」は達成感で、「楽」は満足感や快楽。

ただ「東西南北」と同じチームですよみたいな顔しているわりには、あまりにも同じ方角すぎないだろうか。


「今日のご飯は、卵焼きと目玉焼きよ。」

「今日の時間割は、一限が算数で二限が数学です。」

「今日の二限は体育になって、A君は喜んでてB君は楽しんでた。」






僕は1人になるとこういうことをずんずん考えてしまう。そうなってしまうとシャワーを出しっぱなしにしたり、行きなれている学校に向かう電車に乗って目的地から遠ざかったりする。


今年、僕は観劇する機会が増えた。それは単純に演劇に対する興味が高くなったのと、ありがたいことに福岡の演劇人の知り合いが大幅に増えたからだ。知り合いが出演したり関わったりしている公演は自然と興味が湧く。

その中で苦手だなと思うことがある。


それは終演したあと、会場の出口から建物の外に出るまでの劇団員の方や出演者の方によるお出迎えである。

決してありがとうございましたと言われて会釈することが嫌なわけでも、話しかけられること自体が嫌なわけでもない。
ただ、僕が作品の世界観と現実のギャップに戸惑ってあわあわしてしまうのだ。

観劇している時間は1人でずんずん想像を広げる時間であり、僕は帰り道までそれを継続しないと解釈が追いつかない脳なので、シャワーが出しっぱなしになっている。だからシャワーを急に止められると驚いてしまう。



先日もとある作品を観劇した。優しい雰囲気が終始漂っている作品で心地がよかった。

終演し、あそこはどういう意味だったんだろうとか自分だったらどう演じてたかなとか考えを巡らせながら外に向かっていたら、
「あ、」
っという声が聞こえた。
声の方向に振り向くと、明るくて優しいこの作品のキーマンを演じられていた出演者の方だった。その方は以前少しだけお話させてもらったことがある方だったので、僕の顔を覚えてくださっていた。

「ありがとうございました!」

僕は急に現実の世界に引き戻されたので、分かりやすく戸惑ってしまった。

「あ、ああー…」

いえいえ?いや違う、上から目線すぎる。会釈して過ぎるか?いや失礼だな。どうしよう、何か言わないとな、感想?まだ自分の中で解釈全然固まってないぞ?あ、いやでもキャラ魅力的で好きだったな…

「あ、あのー、めっちゃいい人ですね、なんか、友達になりたいーみたいな…」





…ん、今なんて言った?
え、急に友達になろうとしてる人になってない?
違う違う、役の話ですよ!演技素敵でしたよってことですよ!



相手の顔を見ると、頭の中のでっかいハテナを素敵な笑顔で隠していた。


恥ずかしい。とても恥ずかしい。ここでいやそういうことじゃなくってって言い訳するのも恥ずかしい。どの方角の道行っても恥ずかしいが待ってる。

僕は最大限の愛想のいい会釈をして逃げた。

帰りのバスの中は作品のことよりも恥ずかしさの方でずんずんしていた。


ずんずんずんずんずんずんずんずんずんずんずんずんずんずん…………




その時に僕は思った。

恥ずかしいの威力はこんなにもあるのになんで喜怒哀楽に恥は入ってないんだろう。



喜と楽どっちか恥にした方がバランスがだいぶいい気がする。

響きで考えると恥怒哀楽(ちどあいらく)かな。



恥怒哀楽。
いい。なんか可愛い。

これで憧れの東西南北に少し近づいたのでは。



改めまして、喜怒哀楽より恥怒哀楽派の首藤誠人です。修士1年の24歳。大学から演劇に触れ始めました。役者、脚本、演出などしたりしております。これからよろしくお願いします。


来週のnoteもお楽しみに〜♪


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