ムヌーシュキンの遺言 - 太陽劇団2023年日本公演

20231021-22
金夢島
出演:太陽劇団
演出:アリアーヌ・ムヌーシュキン
東京芸術劇場

2001年「堤防の上の鼓手」(新国立劇場)の衝撃的な日本公演以来、23年ぶりのカンパニー来日である。

R.ルパージュとグローブ座カンパニーによる平幹二朗主演「マクベス」等の経験で、西洋の劇場人たちによる「ジャポニスム」に立脚した舞台は経験していたが、それでも「堤防の上の鼓手」でのムヌーシュキンとそのカンパニーの創り上げた芸術はすべてにおいて驚かされた。東洋の衣装と肉襦袢を纏って人形と化した役者が、黒子たちに操られる人形劇のキャラクターとして、あたかも文楽を目指したかのような様式で徹底されていた。

だがジャポニスムの衣装を纏いながらも彼らの芸術は完全な西洋芸術であり、それもフランス古典劇に極めて近い所に彼等の本質があった。もっと言えば、彼等の様式美に基づく演技術や創意に満ちた美術・小道具はモリエール・ラシーヌ以来の彼等の伝統ではあるが、様式自体が葛藤・官能・理念といった劇的要素を展開する点において、東洋の歌舞伎や京劇と西洋古典演劇は同じ所に立脚しているのだ。

しかし「堤防の上の鼓手」があれほど東洋美を志向しながら紛れもない西洋演劇たり得たのは音楽の力であった。西洋ではオペラというジャンルが存在し演劇とは明確な一線が引かれている。西洋演劇での音楽は古典劇では劇中音楽であったし現代では付随的な存在である。彼等は「堤防の上の鼓手」で劇展開に常に音楽を並走させ通奏低音のように寄り添わせた。これは義太夫や長唄が常に寄り添う日本古典演劇の様式を意識したと思われるが、そこで奏でられた音楽は明らかな西洋音楽の旋律であったのだ。この音楽によって作品自体が日本演劇のトレースではない西洋演劇として成立していた。この舞台での本質は音楽によって構成されていたと言っても差し支えないのかも知れない。


あれから22年を経て彼等が再び日本にやってきた。そして私達が垣間見たものは、総帥ムヌーシュキンの赤裸々な自己告白であり、彼女が創り上げてきた芸術と日本への憧憬の総決算とも言うべき舞台だった。

今回の作品は歴史的叙事詩であった「堤防の上の鼓手」と異なる現代劇である。明らかにムヌーシュキン自身の投影と思われる語り部にして主人公のコーネリアの妄想として、肉襦袢をまとった役者たちによる妄想としての「人形劇」が展開しつつ、主人公自身の赤裸々な自己告白が展開していく。

人形劇は日本を舞台としつつ、国際紛争・資本主義社会の摩擦・文化芸術の維持の困難等、様々なエピソードをグローバル視点で網羅していく。俳優たちの演技は「堤防の上の鼓手」よりもリアリズムに近づいており、黒子の使い方も控えめなのは現代を舞台とする以上は必定だったのだろう。この人形劇はいささか散漫な感があったが、習近平を実名で出した風刺劇はフランス演劇人にいまだ宿るレジスタンス精神の面目躍如であり、同時に20年前の「堤防の上の鼓手」の観客たちへの訴えでもあろう。ヘリコプター飛行シーンのアイデア豊かな小道具での表現には、彼等の内にいまだ息づくフランス演劇の伝統を垣間見た。

だが最もインパクトが強いのはリアリズムで演じられる主人公の自己告白劇だ。サナトリウムの病床に伏しながら日本への狂的な憧れを妄想劇で語りつつ、その芸術に捧げた人生の根源となった少女時代の憧れの女性教師マダム・スピノザへの思慕が語られる。二人の関係は「制服の処女」を想わせる同性愛すれすれの関係であるが、妄想劇の要所をリアリズム演技の形で仕切るマダムの姿に、ムヌーシュキンの世界観がこのマダムの薫陶によるものであり、マダムの芸術家精神がムヌーシュキンの生き様の根源であることが浮き上がる。

幕切れ近く、マダムがレコードの針を落としてヴェラ・リンの「We'll meet again」が流れる。舞台には白拍子の人形が登場して日本舞踊を舞いつつ、語り部と抱擁を交わす。やがて人形たちも主人公もマダムもこの舞に合流し、先の大戦時に未来への希望を託した歌声に乗せて舞台の幕が下りる。このシークエンスでこの作品のすべてのエピソードが収斂してゆく様は感動的であった。日本の舞と、先の大戦時に未来への希望を託した歌。20年前の構図が再現されたのだ。


この作品はムヌーシュキンの芸術の総決算にして遺言というべき舞台だったのだろう。22年前の公演パンフレットに、彼女は「どうかこの作品を日本への私どものオマージュと受け取ってください」と記した。あのバブル崩壊の時代を経て、今日の日本は彼女の眼にどのように写っているのか。今回のパンフレットに脚本のシクスーがいまだ熱烈な想いを語っているように、彼女らにとっていまだに日本は文化と芸術の桃源郷なのだろう。現実の日本がすでにそうではなくなっているとしても、彼女らの内にはいまだに黄金の国・夢の国としての日本が輝き続けているのだ。

このムヌーシュキンの遺言を私達はどのように受け止めれば良い?

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