
私たちのカタチ②
2020年の秋にアメリカの早期大学(ここでは通称SR)に進学した息子が、コロナ禍での特別リモート授業を経て、この秋ようやく渡米しました。『私たちのカタチ』は、その直前にこれまでの18年間について親子でリフレクションしてみた対話シリーズです。
子どもはもちろん、親も、家族のカタチも、みんなそれぞれ違いますが、私たちのカタチがどなたかの参考だったり、仮に励みにでもなったりしたら、シェアして本当によかったと親子それぞれ嬉しく思います。
私たちのカタチの背景
7月生まれ:息子が在籍してきた(アメリカの)学校では、夏生まれは自動的に1学年繰り上がる。いわゆる「早生まれ」。
英語が主言語:家の中では英語、外では日本語、というバイリンガル育児と、英語での教育環境の結果、息子の主言語は英語に。日本語には強い苦手意識があるが、不安感が強く慎重で完璧主義であることも要因。
乳幼児期から見られた特徴:驚くほど慎重・観察者・安全と確信するまではほぼ動かない・職人気質・好奇心探究心旺盛・不安感が強い・過敏・心身の不安感や不快感は吐き気や嘔吐で表現される。
SR:知的好奇心旺盛で意欲ある高校生が、受験勉強に傾きがちな高校(主に後半)をスキップして受験・進学できるリベラルアーツの早期大学。新入生の平均年齢は16歳。16歳以下は、併設されたアカデミーで高校4年分の学習を2年で履修し、SR(四年制大学)に上がる。アカデミーで学びながらSRのコースを取ることも可能。尚、SRもアカデミーも通常はリモート授業は行っていない。
これは,四年制大学を11学年から開始,つまり2年飛び級する形態の学校で, 「早期カレッジ」 (early college)と呼ばれる。四年制のリベラルアーツ・カレッジ(教養専門の大学)として認可を受けているが,学生は11学年(一部 12学年)で入学する。 HS卒業の資格は得られず,大学の学位がそれに取って代わる。つまり2年間で(早ければ12学年修了時に)準学士の学位を取得して,4年間で四年制大学の学士 (B.A.: Bachelor of Arts) の学位を取得することができる。
ふつうのHSで学業優秀で意欲の高い生徒は,最後の2年間はやりがいを損なわれている,あるいはSAT(大学入試用の標準学カテスト)等の大学受験準備で時間と労力を浪費している。そこでその代わりに大学の教養課程の授業を履修して学習のやりがいを高める。16歳で大学の学習を始めても間題なく,学業と杜会生活のニーズを満たすのだ,という理念がある。
出典
松村愓隆. 早期カレッジ・ハイスクールの興隆:高卒時の準学士号取得で学習意欲を高める. 關西大學文學論集, 2005, 55(3), p. 101 - 117. (online), http://hdl.handle.net/10112/12541, (参照 2021-08-18)
このシリーズは親子の対話形式になります。(かぎかっこ=息子)
ソーシャル・エモーショナル面とか、孤独とか
アカデミック環境だけでなく、さまざまな交流の場や機会を、日・米・オンラインで見つけては挑戦できるようしてきました。でもソーシャル面はうまくいったとは言い難いよね。
「今でもそうだけど、social anxiety(が原因)で、関わりたくても積極的にはなかなか関われなかった」
そうだね。でもアメリカでのサマーキャンプのあの1週間は頑張れた。帰り道は大興奮で話が止まらなったね。楽しかったんだな、こんなにも欲してたんだなって思ったよ。
「あれは(当時夢中になっていた)プログラミングのキャンプだったからよかったんだと思う」
確かに。主言語環境で、同じ興味関心事(like-interest)の子たちとだったら楽しくやれるんだな、と私もあれで確信したし、安心もしました。昔から同年代の子たちに対してはとくに慎重だったね。幼稚園に入るずっと前から、公園でも砂場でも本屋さんでもいつも警戒してて、誰か子どもが来たら即逃げてくる。
「そうそう、ほかの子が来たら逃げる。覚えてる(笑)」
1年だけ行った日本の幼稚園でもそうだったね。園バスからおりたらずっと外のベンチで待ってて、先生に促されるまで教室に入らなかったと懇談会であとから聞いたときはびっくりしました。あれはどうしてだったんだろう?
「みんながワイワイごちゃごちゃやってるところに入るのがキツかった。(音的に)うるさかったし」
慎重エピソードは沢山あるけど、いずれにしても、そういう(感覚過敏で慎重で人見知りな)子をホームスクールするのは危険かもしれないとは思っていました。ソーシャル・エモーショナル面はとくに気をつけなきゃって。難しかったけどね・・・
「・・・うん」
オンライン・フレンズはできたけど、実際のところ寂しくなかった?
「凄く寂しかったよ。ずっと」
いつまで?
「正直今も」
・・・・・・そうだよね。可哀相だったね (T_T)
「 (T_T) 」
SRにようやく行けることになって本当によかったと思ってる。ずっと望んできたものね。
「・・・うん」
ここまで時間はかかったけど、これから絶対楽しくなるよ。
「うん」
昔の話をする前にもう一度教えてください。このオルタナ教育をしているなかで、ソーシャルな機会は多々あったし、anxietyを軽減させるためのcoping skillsを身につけたり、social anxietyを少しでも良くするためのCBTを受けたりする機会もあったと思うのね。そういう機会を躊躇してきたのはなぜだったんだろう?
「友達になりたいと思っても、いざとなるとやっぱりどうしても怖かった。そういうコンフリクトが常にある、自分のなかで。(日本語という)言葉の壁はもちろんあるんだけど、それだけではないと思う。coping skillsとかCBTは(自分のタイミング的に)難しかった」
自分のなかの恐怖と対峙するのは難しいよね。おとなでも難しいものね。でももう大丈夫と思う。家から出て次の段階に進む "とき" が来たんだなってこの1年間ずっと感じてた。(ソーシャル・エモーショナル面で)難しいことはいっぱい出てくると思うけど、乗り越えていけると思う。自分だけで乗り越えていかなくていいんだしね。SRに行くのは楽しみ?
「楽しみ。でも、友達ができるかもしれないというのが楽しみというより、これから(自分は)どうなるんだろう、どんなことが(この先)待ってるんだろう、というのが楽しみ」
そうだね。私も楽しみ。孫正義育英財団には本当に感謝しかないね。支援していただけてなかったら どうなっていたんだろうと思う。
幼稚園とか、インターとか
ちょっと昔の話になるけど、日本の幼稚園に通ってたとき、毎朝嫌がって泣いてたのは覚えてる?園バスに乗せるのが一苦労だった。インターに転校したら生き生きして、行くのも嫌がらなくなって、ほっとしたの。日本の幼稚園のあの独特な感じと、インターのあの(インターっぽい)感じ、やっぱりインターのほうがよかったのかな?
「うん、インターのほうがよかったね。キンダーは楽しかった。とくにキンダーの担任の先生がとてもよかった。アクティビティーも楽しかったし」
日本の幼稚園は人数が多いし、確率的にキミと合う子にも出会えたと思うんだけど。
「だから怖かったってのもある。人数が多過ぎで」
そうだったの?じゃあインターでクラスメイトがもっと多かったら?
「絶対にキツかった。少人数だったからよかったし、キンダーのときの担任の先生のあのlaid backな感じが自分にすごく合ってた」
笑。あの担任の先生の、あのあり方がよっぽどキミに合ってたんだね。エレメンタリーにあがって、インターがだんだん合わなくなっていったのだけど、それはどうしてだと思う?
「サッカーとかポケモンカードとか、男の子たちの遊びに自分がまったく興味なかったというのが大きいと思う。自分はやっぱり虫とか樹液とか・・・ "ネイチャークラブ" とか言って遊んでたほうが好きだったし。キンダーとかまだ小さい頃は性別関係なく遊べてたからよかったけど、だんだん(G3くらいから)男女別で遊ぶようになって、そこら辺から難しくなっていった気がする」
確かにはじめは楽しそうだったよね。実際インターには6年間いたのだけど、全体的に「まあ楽しかったな」とか「つまらなかったなぁ」とか、今振り返ってみてどう思う?
「まずハロウィーンとかのイベントはなくてもいい。めんどくさい」
・・・それは完全に個人の好みの話(苦笑)
「クッキー作りとかは楽しかった。作るのは好きだし」
それも好みの話だと思うけど、まあいいわ。
「スポーツデーも楽しかった。日本の幼稚園であったような “運動会の練習” がなくて、凄くよかった。Show and tellも楽しかったし」
運動会の練習は日本独特かもしれないね。あと、休憩時間にトイレも水分補給も済ませておくというルールも、インターは緩くて助かったよね。Show and tellは、生徒それぞれが自分の「好き」をクラスの皆に披露できる素敵な機会だった。
「そうそう。あと、G5の最後のexhibition?あれは一番楽しかった。Mr. Gがメンターで、ヒッグス粒子を探究して。先生たちしか(自分のブースでの発表を)見に来てくれなかったけど、それでも嬉しかった」
Exhibitionは、IB・PYPにおける集大成のアカデミックなイベントよね。学校という場でキミがアカデミックに打ち込めた初めての経験でした。発表の日、キミのブースは確かに閑古鳥だった。ヒッグス粒子は、まあ、一般受けはしないトピックだったとは思うけれど、それでも在籍していた全体を通して、どうして(ある一定の子たちに)疎まれてたんだと思う?
「当時の自分は、例えばひとの間違いを指摘して直したりしてたんだけど、そういうのがうざかったんだと思う。皆が期待する言動をしなかったり(=その場・その年齢にはそぐわない想定外の言動をしたり)、皆がどう思おうと自分自身を貫く感じもうざかったんだと思う。『ビッグバンセオリー』のシェルドンみたいで」
今は違うのかな。
「当時はソーシャルスキルが本当になかった。でも今はソーシャルスキルは結構高いほうだと思う。いくら場面緘黙があっても。13歳くらいまでの自分は振り返ってみてもうざかった。今の自分も(その場にいたら)当時の自分は好きじゃない。あと(疎まれた理由として)皆と興味の対象が全然違った。自分はスポーツとかまったく興味なかった。でもスポーツが好きじゃないヤツはほかにもいたのに、どうして自分だったんだろう?いじりやすかったんだろうな。今だったらいじられないと思う。いじられキャラじゃない」
先生方はどうだった?
「いい先生とイヤな先生がいるよ、もちろん」
あのとき(インターは)やめるしかなかったと思う?
「やめるしかなかったね、あのときは。それしかなかったと思う」
日本の学校に移るチョイスはなかったのかな。
「Transitionが難しかったと思う、自分には」
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つづく