また鬱がやってきた。
もう2週間近く陽を浴びていない。季節は梅雨だ。
それにしてもだ。
今年の梅雨は酷く長く感じる。晴れ間が全くない。
もう2週間だ。いよいよ眠れなくなった。
気付けば身体が鉛のように重い。なんとか一日乗り切るだけで精一杯だ。
情緒不安定に陥る度にいつ処方されたのか記憶にすら残っていないラミクタールを飲んでいる。宜しくないと理解しているが、不安や苛立ちが襲いかかってくる度に手に取っている。一日で5錠は流石に良いとは言えない。
「月曜日は医者に行こう」
そう主人は提案する。私もその方が助かる。有り難い。なんせ、引越しをしてきてから1度も病院に行っていない。
引越しをしたことで、また新たに病院探しからしなくてはならない事自体がとても億劫だった。どんなことでも新境地開拓をすることは得意では無い。それでもグダグダしているうちに処方箋は減っていくし、精神もすり減っていく。行かねばならん。やらねばならん。
主人の唯一の休日を、家族で過ごせる唯一の休日を、自分の都合のせいで潰してしまう事が心苦しい。娘たちはきっと遊びに出掛けたいだろうに。本当に申し訳ない。
引越しをして、毒親である両親から離れ疎遠になり、少しは良くなるのではないかと期待していた。きっと主人もそれを期待していた。しかし、上手くはいかないもので、どうしても鬱も躁もやってくる。
毒親の呪縛からも逃れきれない。時折、両親と縁を切ろうなんて自分はなんて親不孝なのだろう。そう思うこともある。だが、また距離を縮めてしまえば30歳手前のBBAにもなって親の顔色を伺い、ご機嫌取りのつもりで娘たちを連れて実家に嫌々出向かなくてはいけなくなるオチだ。「孫の顔を見せろ」と言われても、あんな空気の淀んだ家の門なんてくぐりたくはない。それでも「後が怖い。何をされるかわからない」という恐怖心から、毒親の存在を自分から切り離せずにいる。
だが、今の私の家族は子どもたちと主人だ。守るべき人たちはこの三人だけだ。妻として母として、少しでもその役目を真っ当したいだけだ。それすらままならなくなってしまったら生きていても意味が無い。子どもたちを幸せにしたい。自分のような人間になってほしくもないと思うほどに空回りをしながら、幸せという目に見えないものに固執している自分がいる。これは最早、執着なのかもしれない。どうしたらいい?どうしたら幸せにできる?どうしたら…と、そんなことばかりを考えているうちにもう7月。今日も私は体調も悪けりゃ、メンタルも絶賛不調中だ。
今日は熟睡する主人を横目に子どもたちがなかなか寝付かないので、自分が子どもの頃に観ていた「バグズライフ」を鑑賞しながら小麦粉を捏ねた。すいとんを食べたい衝動に駆られたせいだ。3日以上食事をする気力すら失っていたが、何故だか「すいとん食いてぇ……」と身体が言っていた。
そして小麦粉の固まりを寝かせ、子どもたちも無事に寝かせ、皆の寝息を確認して夜中に風呂に入った。
それでも私は今夜も眠れそうにない。何故だ。
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