深くなさそうでやっぱり深くない見切り発車のエッセイかと思いきや日記
創作とフラストレーションには、多分に相関関係がある。これは、創作をしたことがある人、あるいはそれに準ずるなにかをしている人の多くが共感できるだろう。
noteを書いている人だって、同じようなことを感じるはずだ。
つまり、noteを書けない=精神状態が良い、という方程式が成り立つわけだ。(少なくともぼくは)
ぼくの今の更新頻度はかなり低い。
まともに書いたのは去年の10月だ。つまり、ここ3ヶ月ほどぼくのメンタルは好調ってわけだ。
お風呂上がりにヤクルト飲んで、チョコパイ食べて、好きな人と通話して眠る。休日は仲間と出掛けて遊んで飲む。たしかに、可也充実しているし、フラストレーションはここで発散しているのだろう。
問題は、創作じゃなくても発散できるフラストレーションしか溜まっていないことだ。
フラストレーションには2種類あって、日々なんでもないことで積もるフラストレーションと、世間に対して抱く憎悪的なフラストレーションがある。前者しか感じなくなってしまったわけだ。
フラストレーションという言葉を使いすぎて馬鹿みたいな文章になってしまった。だが、そういうことだ。
だって、世間に対して腹が立たなくなっちゃったんだもん…仕方ない…。尾崎豊も、成長すればぼくみたいになってたかもしれない。28くらいで、バックナンバーみたいなよくある失恋とか悲哀とか歌ってたかも。
そう考えると、ブルーハーツはすげえよな。甲本さんはいつみてもあのときのままのような気がする。
見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる〜
昔の自分を投影して聞く時がくるなんて。多くの大人は、今の自分と共感して聞いてるんじゃなくて、こういう次代もあったなあ、みたいな聞き方してたんだろうか。甲本さんはそんな聞き方して欲しかったのかな。
知らんけど。
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