LifeClips再録⑨
【何の配慮もいらない自由極まる音楽の話〜山崎まさよし編2〜】
2020/10/11
なんやかんやしていたら前回から随分と間が開いてしまいました、覚えてないな諸々。思い出しながらアウトプットしていきます。
続編を書くにあたって前回の内容を読み返しましたが、「ある時」がうまく思い出せないんですね、でも決定的に聞かなくなってしまったことだけは確かなんです。
アルバムでいうとあの辺以降は聞いた記憶がないなとか、今でも空で歌える曲はあの頃リリースだなとか、そんなぼんやりしているようでわりかし精度の高い境目があるにはあります。その当時にあったことなんて、おそらく様々な意味で世界が拡がったくらいでしょう。
進学したとか社会に出たとか、所属が変わったとか、そういった変化で新たに得たものが鮮やかに見えてしまって、一気にそちらに心が傾いた覚えがあります。
なんだか「山崎まさよし」の作る曲が、みんな同じように聞こえてしまう時期がありました。
新曲に心が動かなくなった、それが何回か続き、聞かなくなってしまったのだと思います。
どのアーティストの曲でもそうですが、ハマるにはタイミングが重要だと考えています。同じ曲でも10年前に聞いたのと今日聞いたのと10年後に聞いたのでは受け取り方が違うのでしょう、その時々の自分の受容体にぴったりとハマる形の音だったり詞だったりビジュアルだったり、「きっかけ」になる何かがあります。
けれど一方で、この人にはこれを求めているという一本芯の通った理想みたいなものもあると思います。私は「山崎まさよし」に対して、こちらの方が強かったような気がします。
旅のCMのタイアップでもつくんだろうなというぼんやりとした、なんともメリハリのない綺麗なだけのメロディと当たり障りのない歌詞。
映画の雰囲気に沿って「作られた」、なんとなく居心地の良くないタイアップ曲。
決まったメロディを決まって歌う、没個性のCM曲。
それらが続けて耳に入った時、私は「山崎まさよし」をやめました。
私が「山崎まさよし」の良さだと感じているものが曲から読み取れなくなった時、私の「山崎まさよし」は終わりました。