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2050年のことは書かれていない、だが、2050年に新聞社がどうなっているのかを示唆する本なのかもしれない『2050年のメディア』【読書ログ#140】

『2050年のメディア』(下山進)

表題で言いたいことを全部書いてしまった。

未来の話は一切無いので、タイトルをみてメディアの未来を占いたいと思って手に取ると期待外れになる。注意が必要よ。

本書では、

ヤフーがいかにして巨大ニュースサイトになっていったのか。

日経電子版はどのようにしてうまれたのか。

47ニュースはなぜ微妙なのか。

あらたにすは何故失敗したのか。(名前も原因だよね)

そして、読売新聞はなぜデジタルにコミット出来ないのか。

これらの話題が、関係者への取材などで明らかにされていく。

ただ、誰が何をした、という取材記事なので、何故そうなったのかがわからない。たとえば、日経電子版は成功しているが、なぜ成功しているのか、4,277円という値付けで成功したのはなぜか、といったことは全く書かれない。書かれているのは、誰が根回しをしただとか、誰がそれを邪魔しただとか、そういった事件記事のような内容だ。

なので、そういったビジネス書としての面を期待している方にはまったくの期待外れだろう。

直近のネットメディアの歴史の一部を、ノンフィクションとして楽しみたい方には大いに楽しめると思う。そういう本だ。

本書があつかっているのは機能としてのメディアではなく、媒体としてのメディアなので、野球をめぐるゴシップなど余計と思える章も多い。

そんな余計な章も、興味深いというか、なんじゃそりゃという事実が開陳されているところがあって興味深い部分もある。

たとえば、新聞を軽率減税の対象とするよう地方紙(というか販売店なのかな)から強い陳情があり、それを全国紙の幹部がとりなそうとしている下りなどあっさりと書かれるが、あれは業界が一致団結して政府に押し込んだのだろうなと読めた。

ひどいのは、ヨミドクターという読売のコンテンツでHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の記事を圧力を受けて取り下げ、担当者を更迭させた事実だ。HPVワクチンをめぐる現状については、本当に酷いなと思う。

一見、本書には無駄と思えるエピソードも紹介しているのは、暗に読売新聞に自助努力は望めないという事を伝えているのかもしれない。面と向かって文句は書けないので、遠回しに読売の凋落を示唆したいのかもしれない。2050年には、読売グループは無くなっているのだぞと言いたいのかもしれない。かもしれない。

それにしても、紙に固執せざるを得ない新聞社の先行きが不安になる内容だ。紙にニュースが印刷されて毎日自宅に届くだなんて非効率なこと、この先も需要が続くはずはないのだ。昨今の回線なら、最新の紙面が時間をとわず新聞社から直接届く。5Gが普及すれば、どこに居てもスパッと手元に届く。なのに、沢山木を伐り、沢山紙をすき、沢山インクを練り、沢山電力をつかって印刷し、沢山ガソリンと沢山の人力を使って家に届けることのメリットが見いだせない。ただのノスタルジックにしかみえない。

本書を読んでいると、読売新聞社はラストマンスタンディングを目論んでいるような話になっている。つまり、他社が紙から離れていくと、必然的に強力な販社網を持つ読売新聞が一人勝ちになるのだという。

だが、この作戦には大きな勘違いがある。ラストマンスタンディング戦法が有効なのは、その商材の需要が減りこそすれゼロにはならないし、独占すれば十分に価値のある数になる、という前提が重要だ。だが、紙の新聞は、現在の利用者が年齢を重ね亡くなっていくにしたがいゼロに近づくはずでこの戦法は成り立たない。

現在の読売新聞は、紙の新聞を購読すると、電子版が無料でついてくる、という作戦に出ているが、これは愚かな作戦に見える。多くの人は、ニュースは知りたいが紙は家に届いてほしくないのだ。嵩張るし、片付けが大変だし、古紙回収はなかなか来ないし(我が家の地域は二週間に1度だけ)だし。コンマリにも怒られる。だからニュースを見たい人が電子版を検討するとき、要らない紙が届く読売にするくらいなら、他の新聞の電子版を契約するよとなるはずだ。

販売店を助けたいのであれば、新聞紙以外のビジネスを手助けする事を社運をかけてしたらよいのではないか。それこそ現在のインフラをしかしてビジネスが出来そうなウーバーイーツを買収するだとか、介護事業に乗り出すとか。これから増え続ける老人のために、自宅と自宅傍を結ぶインフラビジネスは需要が見込まれると思うけど。

週刊誌の記事っぽいなと思ったら、著者のかたは、文藝春秋に居た方でした。

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マエダヒデキ
「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。