ギャグマンガ・4コママンガ千冊 87〜96冊目 『おしゃれ手帖』 単行本 全10巻 感想
2000年から2006年の間、わたしが中高生の頃、「週間ヤングサンデー」にて連載していたマンガを20年ぶりくらいに読んだ。当時、ある同級生がこのマンガを集めていて、そいつの家に遊びに行ったときによく読ませてもらっていた。大学生になってから、このマンガを友達に勧めたら、ドン引きされる。彼はそっとこのマンガを机に置き、「えっ、お前、こんなマンガ読んでるの?正直、お前の精神を疑うわ」と言われてはいないが、そのようにわたしが受け取っても構わなかったのだろう、ハンサムな肛門みたいな表情でわたしを見ていた。ちょっとしたトラウマになっている。それからは、このマンガを面白いと思っていること、ならびに、所持していることを公表するということは、好きなポルノのジャンルをみんなの前で発表すること、ならびに、その分野の作品ばっかり所持していることがバレルということよりも恥ずかしいこととなった。
魑魅魍魎が跋扈し、無意味さが無限に繰り返されていく狂気じみた世界で、人びとが健気に懸命に日々を生きていくお話となっている。『おしゃれ手帖』というタイトルだけあって、カバーがおしゃれである。また、前述したとおり、人前でこのマンガについて話さないほうが身のためだが、そんな普通の人には理解されないマンガを面白がれちゃうオレ、そのセンスおしゃれである。なので、友人知人が自宅に遊びに来たとき、本棚にこのマンガが揃っていることにその友人が気がついて、『おしゃれ手帖』のことを好意的に触れたなら醸し出され始める”オレたち、わかっている感”もおしゃれとなる。作者はこんなことを意図して、『おしゃれ手帖』と名付けたのかもしれない。どうです、おしゃれでしょう。
このマンガのなにがそんなに面白いのだろうか。それはやはり、このマンガが、合理性や意味性を日夜求め求められている我々現代人に何かある種のサムシングを訴えかけてくるところがあるからだろう。直接的に表現しないし、メッセージが強くて説教くさくなってもいないのも、おしゃれと感じざるを得ない。
このマンガを読んでいると、不安や恐怖がじわじわとこみ上げてくるだろう。わたしもほぼ全巻そのように感じていた。異常なモノやコトに一切ツッコミが入らないので、話が落ち着かずにどんどん異常さが増していく。登場人物が異常さを当たり前のこととして受け入れていたり、微笑ましく見守っていたりするので、現実感が薄くなってくる。現実に着地することがない。異常性がぷくぷくと膨らんでいき現実から浮かんでいくので、それに付き合う読者も一緒にふわふわと浮遊することになる。そうすると、空中を漂っているような感覚になり、地面から足が離れて不安を感じるようになる。それと、「こっからどっちに向かうんだろう」というドキドキ感も生じる。話にサゲがないので、そのまま着地せずに漂っていくような読後感が残る。どこに向かうかわからない気球に乗せられて、「そんじゃ」と手を振り操縦者が飛び降りてしまったよう。でも、そんなアトラクションのような面白さが『おしゃれ手帖』にあるんじゃないか。作品に込められた意味がどうとか、メッセージが何かとか読むのではなくて、体験を楽しむのがこのマンガなんじゃないかと思った、うん。
このマンガに登場するキャラのなかでどのキャラが好きかとか、どんなセリフが記憶に残っているとかを詳しく話すのはやめておく。いづれ実人生で『おしゃれ手帖』を読んだことを打ち明けても心配がない人が現れたら、その人と存分に語り合いたいと思う。ヒョウを百獣の王にするため、あれこれサポートしていくことに決めた高嶋先生や、丈一の「シコシコは青春のスポーツさ」という名言に心を打たれそうになったことだけは、ここに記しておこう。御見逸れしました。