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五条天神宮〜日本最古の宝船図考(カガミについて①)

 五条天神宮は別名「天使宮」と呼ばれています。「天使」とはもともと「天子」であり、出雲神話で知られる少彦名の別名。天神といっても菅原道真を祀る天満宮の天神とは全く異なる、と言われています。

 開基は伝709(延暦13)年。桓武天皇の平安京遷都の折、空海が大和国宇陀郡より天神(=天つ神=天津神=少彦名)を勧請したのが創建の由来とされる、洛中最古の神社。空海も最澄も、遣唐使として唐に向かう際、航海の安全を祈願したと伝わっています。

 五条天神宮の宝船図は「日本最古の宝船図」とされ、室町時代には、節分当日、宮中及び親王や公家にのみに献上されていたのですが、大正時代の中頃より一般に配布されるようになったそうな。

 まず、目を奪われるのは、恐ろしくシンプルな図案であること! なぜなら、多くの人にとって、宝船図とは七福神とセットで、こんなイメージではないでしょうか。

 また、これについては後日詳しく紹介していきますが、江戸・明治・大正・昭和初期にかけて、数多く頒布されていた宝船図はいわゆる七福神の姿が描かれていないことが多いのです。対応したモチーフ(恵比寿=雌雄鯛、毘沙門天=ムカデetc.…)やその他の吉祥図案が複数、船と組み合わせて配置されているようなスタイルであり、図案は神社等によって少しずつ異なります。

こちらは五条天神宮のもう一つの宝船図。若松、宝珠、巾着、盃、海老、雌雄鯛、米俵、打ち出の小槌、蓑、笠、鍵、丁子、柄杓に加え「長き夜の〜」の回文が帆に書かれている。

 では、それを踏まえつつ、今回のテーマ、京都の五条天神宮の宝船図を読み解いていくとしましょう。
 一見すると、外来からの稲作文化が伝来したことを象徴的に表していると捉えることもできそう。また、宝は古来より「田から」表現され、稲の恵みは弥生以来、日本人の食文化やアイデンティティの礎になっていることを伝えているメッセージととることもできそうですが、果たしてそうした単純な理解で良いのかどうか。ここでまず、神話における少彦名の登場シーンを踏まえておきます。

大国主神が出雲の御大の岬に居た時、この神が、波頭から天の羅摩(かがみ。ガガイモのこと)の船に乗り、鵝を丸剥ぎにした皮を着てやってきた。名前を問うたが答えず、大国主神に従う神たちもわからなかった。正体を知る久延毘古が、神産巣日神の子の少名毘古那神だと明かしたので、それを神産巣日神に申上すると、神産巣日神はそれを肯定して、子供らの中で、自分の手の股から抜け出た子だと述べ、更に、大国主神と共に葦原中国を作り堅めるよう告げた。そうして二神の共同で国を作り堅めた後、少名毘古那神は常世国に渡っていった。

國學院大学神名データベース・少毘古名神

 つまり、少彦名は「ガガイモ」という植物の鞘でできた船に乗ってある日突然やってきた天津神(神産巣日の子)であること。また、植物の鞘に入るほど小さな神さまであること。大国主の国づくりに助言・尽力したのち、常世に渡って行った漂着神(突然きて、突然去る)であることがわかります。

 また、宝船図のタイトルは「嘉加美能加和宝舩」とある(船ではなく舩というのが重要)。カガミとはガガイモの古名とされており、稲穂は少彦名の象徴である(常世の国に渡る際、稲穂に乗って弾け飛んで消えたとされる)。となるとこの図はまさに、漂着した少彦名を表す図案と考えて相違ないようです。

 誰も正体を知らない少彦名のことを「久延毘古」という神だけが「少彦名が神産巣日の子である」ことを知っていた、というシーン。この「久延毘古」とは手足のない、一本足カカシの神のこと指します。「カカシ」「カガミ」…つまり、この短い下りに「カカ」及び「カガ」という古語が含まれていることは見逃せない事実。また、手足の不具を持つ、あるいはヒルのような形状をしている、国生み神話に出てくるヒルコも連想させます。

 ここで引かないわけにはいかないのが『蛇』(吉野裕子・著)。

「カカ」=「ヘビ」であり、
「ガガイモ」=「カガ“ミ“」=「ヘビのような」or「ヘビの目」
「カカ“シ“」=「ヘビそのもの」

 を指す、と。また、同書では、「鏡餅=ヘビがトグロをまく状態」という説が展開されていることでも知られていますが、カガミとはヘビの目(頭部)であり、ツルギとはヘビの四肢がない胴体や尾の部分(生殖器含む)を指すとある。この説でいくと、三種の神器のうちの2つが蛇に込められているということになりますね。
 鏡餅のみかん=橘(だいだい)の実は、ギラギラ光る蛇の目の象徴だとも言われていますね。

 次回はこの、鏡餅についてもうちょっと掘り掘りしていきます。

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