LocalDAOと民主主義について
しばらく、個人的なnoteの更新をお休みしていたのですが、とある外圧からとても強く言語化したい衝動が生まれ、書いてみたいと思います。
ただし、非常に偏った一方方向からの見方なので、これを読んで鵜呑みにしないで自分で調べたり考えたりして頂けると幸いです。
公表は意図的に避けていたのだけれど、今、新潟県長岡市旧山古志で巻き起こっているとある社会活動にデジタル村民として関わっています。
界隈では大変有名な社会活動なのですが、現在ここで開始されて1カ月程経つ「とある投票」があり、これについて、自分が感じている事を整理して意思表示をしたいという強い気持ち
投票そのものに対する違和感
まず、何の為の投票なのか、この投票によって何が起こるかわからない(理解が追い付かない)まま投票実施がいつのまにか決まり、はじまりました。
違和感の正体がわからないまま、わかろうとするための模索
「椎葉村、天竜峡という二つの村をLocalDAOに迎えるか否か」というのが定義されている投票目的なのですが、そもそも、(ざっくり言うと)山古志村の推し活コミュニティであったネオ山古志村(NishikigoiNFTのDiscord)に対して、2つの村の選定についての経過説明も殆どない中で選ばれ、降って湧いた様な二つの村に対して、今後NFTの売り上げを振り分けるか決めようと言われても、「え?」「は?」ってなるのは自然な反応なのではないかと思います。
それでも基本的にどんな些細な事でも山古志の為になるならなんでも盛り上げようと行動するのがネオ山古志村の多くのデジタル村民なので、とりあえず盛り上げようと、二つの村を知ろうと行動しだします。
でも、山古志の推し活に夢中になっている人程、違和感を感じ始めます。
「あれ、これって、山古志の為になるんだっけ?」
「これってもしかして折角山古志に集まった関係人口が他の2村に流れるだけじゃね?」
という不安になっていきます。
でも別に2村の事を嫌いなわけでもなく、むしろ好ましいと思う多くのデジタル村民は、アンフェアな関係にならないように、フラットな関係でいられるように、もっと2村がんばれという挙動に移っていきます。
そんな中、あるコアなデジタル村民がたまたまこんな発言します
「2村が頑張っているのわかるんだけど、山古志の事で手一杯で、興味もてないんだよね」
本当の問題
そう、問題は2村ではなく、自分の中でいつのまにか問題をすり替えてしまっていたのです
すべての問題は「投票そのもの」にもかかわらず、投票は前提となり、その「賛成」か「反対」かしか答えがないかのような錯覚に陥っていたのです。
ネオ山古志村には推定1500人くらいのデジタル村民がおりますが、帰省(リアルな旧山古志村を訪れている人)した人はその1割くらいといわれていて、まだ多くの方々は実際に訪れる事が出来ておりません。
また、訪れる事は難しくとも、DiscordやSNS等デジタル世界で推し活に参加している人達がおりますが、こちらも全体から帰省済み勢を抜くと僅かな割合かと思われます。
そして、残りは、ひとまずなんらかの期待値でNFTを買って、そのまま特段活動はしていない人達です。
そして、このすべての人たちに平等にNFTあたり1票が与えられている状態です。
そして今回は、これまたほぼ説明もないまま、決められた有効投票数がきめられており、それが、なんと250票程になっているのです。
そして、実際、深く山古志の事を考えている人程悩みがちな中、徐々に票は集まっています。
この状況で、非常に悩んだ末、自分が出した結論として、「投票そのもの」を否定するという選択をする事にしました。
この選択は投票に対するアクションとしてはなにもしないという事になり、本当に何もしない人との差がなくなってしまい、それも違う気がしていて、その意思決定をしたという事を公開した上で、その行動をしたいと考え至りました。
もしも、この行動に共感した人が、投票をしないという選択をして、この投票そのものが成立しなければ、現状のまま、もっと時間をかけて、ゆっくり丁寧に2村との関係を作っていけるのではないかと考えています。
逆にこのまま成立してしまうと、溝はより深まり、ステークホルダーすべてにとってマイナスになってしまう様な気がします。
投票不成立という事がマイナスなイメージにならずに、投票よりも民主的な行動と評価される為にも、もしも共感していただいた方は、意思表明と供に投票不参加をしてもらえたらと思います。