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スカイコード 感想

まえがき

2024年5月31日にMELLOWから発売された「スカイコード」の感想です。約7300文字。

以下、本編のネタバレがあるため、未プレイの方は注意してください。

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■希死念慮とは何なのか

「空に惹かれる」という印象的なフレーズでも言い表されている希死念慮。作中のキャラクターの多くがこの感覚を持っています。
もう少し具体的な表現としては、「消えたいとか死にたいって気持ちだけが突発的に現れる、漠然とした願望」です。
自殺衝動に近いものと言えそうですが、本作に沿っていうなら、願いを叶えることができないこと、届かない空に手を伸ばすような絶望だと考えられます。

例えば、ソーダは姉のあめを好きでしたが、あめの羽根の力を知って自分にその感情が向けられていないと思い、絶望してしまいました。
また、対外的には器用で責任感のある人柄だったのもあってか、その想いを伝えることもできず、内に秘めるしかありませんでした。
ソーダにとって好きだった姉は、勝手に想いを抱いては簡単に棄ててしまえる、そんな風に映ってしまいます。
そうして棄てられた絶望から、彼は希死念慮を抱くことになります。
そんな彼を救うように羽根が現れ、スカイコードのグループや梯子、シンジュとの出会いで、ソーダは自由に青春を楽しむことができました。
それは、ソーダが願いが叶わなかったことよりも、今を楽しむことを受け入れたということでもあります。

しかし、羽根はその力が使われるほど持ち主の願いを、そして心を歪ませていきます。
ソーダは今を生きることを選びましたが、羽根によって今以上に心が歪んでしまうことを良しとしません。
また、今を生きるとは願いが叶わないことを受け入れることであり、そしてもはや羽根を必要としないということでもあります。
そのため、ソーダは羽根を返すことにします。
ところが、彼の心の絶望は救われることなく、なお深く刻まれています。
そして、羽根を調べることで知ったこの絶望の記憶は、羽根を返したことで徐々に忘れてしまいます。
ここで、記憶とともにその感情も消えてしまえば楽だったでしょう。

記憶について考えてみます。
梯子が最初、羽根を求める原因を記憶していても感情を覚えていなかったことについて、ソーダは記憶喪失ではなく感情喪失だと言っています。
また、梯子があめに後悔したことをどうするか尋ねたとき、あめは記憶は忘れられないから感情を捨てる、と言っています。
このことから、記憶には2種類あって「何があったか」という記憶とそのときに「何を感じたか」という記憶があることが示唆されています。
そして、シンジュ√の結末で、シンジュは羽根に関するものを含めて記憶をすべて失っていますが、その過程で覚えた罪の意識は(羽根を返したにもかかわらず)残っています。
また、天使√でも、梯子と天使は互いを想う気持ちを心に強く刻んでおり、そのことを疑っていません。
加えて、梯子は記憶がなくなっても、心が不意に寂しい感情を思い出すと言っています。
つまり、羽根が消す記憶は前者の「何があったか」という記憶のみであり、そのときの感情までは消えないのだと考えられます。

このことを踏まえると、羽根を返したソーダの心がどのように変化していったかを推測することができます。
先述したように、ソーダの絶望は、好きだった姉に棄てられたことでしたが、棄てられた記憶は羽根を返したことで徐々に消えていきます。
しかし、そのときに覚えた絶望は残り続けてしまいます。
その結果、ソーダは覚えのない絶望が心に刻まれたような状態になったと考えられます。
そうして、ソーダは空に惹かれてしまったのです。
あるいは、心の変化を察知する中で、願いが叶わないことを受け入れた自分のまま終わりを迎えたいという願望を抱いたとも考えることができます。

いずれにせよ、空に惹かれる感覚、希死念慮は、強く絶望を感じたという記憶から生まれるだけでなく、それが心に刻まれた結果、なぜそう思ったかという具体的な事象とは関係なく、ふとした瞬間にその絶望が想起されたことで発生する死への願望だと読み解くことができます。

■シンジュの迎えた結末

本作は(中盤のあめENDを除けば)シンジュ√と天使√の2つに分岐します。
その中で、シンジュは明確に異なる結末を迎えています。
シンジュ√では、徐々に心を歪めながら取り返しのつかないところまで罪を重ねましたが、梯子と互いに想う感情を伝え合い、そして最後は罪だけを背負ってすべてを忘れました。
一方で天使√では、同じように梯子と言葉を交わしましたが、その後羽根を返して死に向かいました。

●シンジュの願い

この2つの結末の違いを考える前に、まずはシンジュと彼女の願いについて確認しておきます。
シンジュは家庭環境に問題を抱えており、両親や妹から邪険に扱われていました。
しかし、シンジュの絶望は(少女の頃では世界そのものとも言える)家族から除け者として扱われていることではありません。
真にシンジュが絶望したことは、そのような状況に対して慣れてしまったこと、言い換えるなら、普通なら苦しいと感じるような環境に対して何も感じなかったことです。
わからない感情は自分自身もそうだし、家族が向けてくる感情も何もわからずにいました。
希死念慮のところで考えたように、人の記憶は出来事だけでなくそのときの感情も合わせて構成されています。
シンジュはその片方が欠けていたことになりますが、最初からなかったと考えると希死念慮を抱く感情そのものがないことになってします。
つまり、感情の記憶ができていなかった(思い出せなかった)だけで、その苦しさはずっとシンジュの心を傷つけ続けていたのではないかと考えることができます。
認識できなかっただけで心に傷があったとすれば、シンジュが自分の心を歪めて感情を覚えるようになったとき、その傷つけられた記憶に伴う感情が溢れてしまい、妹に復讐しただと考えられます。
シンジュが希死念慮に誘われたのも、何も感じていなかったからではなく、傷ついていたことに気づけないでいただけで、その傷が不意に浮かび上がっていたのだと考えることができます。

前置きが長くなりましたが、そんなシンジュの願いは何でしょうか?
作中に書かれているそれは「自分自身を好きになること」であり、「梯子にむけた恋の祈り」です。
羽根を最初に願ったのが梯子に向けた祈りとなっていますが、シンジュが梯子と出会うのは最近なので、これはおそらくシズクがミーくんに向けた感情と思われるでしょう。
この願いをもう少し考えてみます。
シズクとミーくんはSNS上で絵と写真を交換し、そこからお互い同じように寂しさを感じ取っていました。
直接顔を合わせたわけでもないのに、画面の向こうにいる誰かが自分と同じ感覚を共有し言葉にして伝えてくれたのです。
このことをきっかけにシズクの自分を好きになりたいという願いは、ミーくんに好きになってもらいたいという側面も持つようになりました。
自他の感情を読み取れないシズクが、自分の感情を分かりたいと同じくらいに他人から向けられる感情を分かりたいからこその願いの形です。

●天使√

このことを踏まえて、まずは天使√での結末を考えます。
シズクの願いはミーくんに向けた恋の祈りでした。
シズクの想いは電話越しでも感じ取ることができるほどで、シズクにとってどれほどこの願いが切実だったかが表れています。
ここのやり取りは本当に良い。
このときミーくんの心の中にいる人は天使ですが、それはシズクは識っている感情です。
自分の感情も他人の感情も曖昧だったシズクがようやく識ることできた感情が恋心で、それを教えてくれたのがミーくんだったのです。
そして、ミーくんを好きなシズクは、しかし同じようにミーくんが天使を好きなことを識っていました。
それでもシズクが想いを伝えたのは、伝えた想いがミーくんの中に残ってくれたら嬉しい、という祈りとともに、もともとの願いである梯子からの恋心が叶わないものだと受け入れて前に進むために必要だったことです。
その後、シズクは羽根を返したことでソーダと同じように記憶をなくしていきました。
ソーダと同じように、シズクもまた前に進むために現実を受け入れながらも願いは叶わず、希死念慮を識らない頃に戻ってしまった結果あの結末に至ってしまったのだと考えることができます。

●シンジュ√

一方で、シンジュ√ではミーくんに想いを伝え、そしてミーくんもまたシンジュを好きだと伝えたため、シンジュの願いは叶いました。
しかしながら、そこに至るまでにシンジュの願いは歪みきってしまい、多数の自殺者が発生するという取り返しのつかない事態を招いてしまっています(巻き込まれた人々に浮かんだのもまた、心が変えられてしまった結果知らない衝動に突き動かされた希死念慮なのでしょう)。
シンジュの願いによって歪められた人々の心を元に戻すためには、歪められた心を正すだけではなく、シンジュの存在そのものを消さなければなりませんでした。
それは、心だけを正したとしてもシンジュの存在を不意に思い出すことで、突発的な衝動が発生する可能性が残るためと考えられます。
心を正すためにはシンジュの存在を世界が忘れ、その可能性を無くす必要があるのです。

そして、当然シンジュ自身もまたシンジュの存在を忘れるため、彼女は自分が誰かがわからなくなってしまいます。
このとき彼女に残っているのは何でしょうか。
シンジュは羽根を返すことで羽根に関係した記憶を失うことになりますが、その記憶は天使√のそれと同じだと考えられます。
これだけならば天使√と同じような結末になり得ますが、実際にはシンジュ√において羽根を返した後もシンジュは生き続けています。
この違いを生み出しているのが、シンジュが最後に羽根に願った、罪を一人で抱えて生きていくことです。
この願いは一見意味不明で梯子もひどく動揺しています。私も最初意味がわからなかった。

なぜこの願いが必要だったのかを読み解いていきます。
まず、この願いを持った時点でシンジュが持っている感情は2つあります。一つは願いが叶って得られた梯子への恋心、そしてもう一つが歪んだ願いによって招いた沢山の後悔です。
そして、この2つともが羽根によってもたらされた記憶であることから、羽根を返したシンジュから失われる記憶です。
行き場のわからない恋心と、絶望的な後悔。この2つだけを持って感情を識れない頃のシンジュに戻ってしまえば、それは容易に希死念慮を引き起こすと考えられます。
希死念慮を抱かないようにするためには、シンジュが最初に絶望した出来事を解消する、つまり自分の感情を強く意識できるようにする必要があったはずです。
そして何より、生きたいという願いが重要です。
ここで思い出したいのが、あめが後悔を捨てることで間違えたこと、そして天使√終盤で梯子が言った、前を向くためにいろんな人の想いや願いを背負って生きなければならない、ということです。
天使√において梯子は、ソーダやシンジュたち、そして天使と出会ったことで救われました。
そして救われた梯子は、願いを叶えられず救われなかったソーダやシンジュの願いを背負うことで前を向いて生きることができるようになりました。
そしてそれはシンジュも同じはずです。
つまり、救われると同時に沢山の後悔を残したシンジュは、その過程によって失われたものと抱いた後悔を捨てることなく背負う覚悟を決めることで、前を向いて一歩踏み出して生きることができたのだと考えられます。
またこの後悔、罪の意識は自分の感情そのものであるため、シンジュの希死念慮を無くすことになったと思います。

シンジュ√において彼女の物語は一つの終わりを迎えましたが、新しく始まる予感のあるシンジュのプロローグの先は、梯子と二人で寂しさだけでなく美しい宝石箱を分かち合うようなものであってほしいと願うばかりです。

■梯子と希望

宵宮梯子と九条希望、そして碧星明日香は友人同士でした。それは互いにとってとても大切な関係だったはずです。
梯子にとっては、母親から向けられる過剰な期待を忘れられる場所であり、希望にとっては、事故で妹を失い家を追われて転校してきた孤独を癒やしてくれる相手でした。二人にとって、ただ普通の学校生活、青春の日々を過ごしたいというありふれた願いが得難いものでした。

ずっと続いてほしいと願っていた日常は、しかし希望の父親の自殺によって一変しました。
希望は壊れてしまいそうな心をつなぎとめるように明日香を求めましたが、明日香が向けてくる感情が自分が抱いていた恋心ではなく同情であったことに、世界から疎外されたような孤独感と絶望を覚えます。一方の梯子もまた明日香に告白しましたが、明日香に拒絶されたことで想いが届かなかった絶望を抱きました。
そう、梯子と希望は互いに同じような願いを持ち、そして同じような孤独や絶望に至っています。

希望は確かに梯子をいじめていました。しかしそれは、ごく普通の少年が願ったであろうごく普通の日常や青春が、叶わない願いだと絶望してしまい、歪んでしまった心が起こしてしまったものです。それは、シンジュが羽根の力に流されてしまったこととどれほどの違いがあるでしょうか。
梯子もまた同じです。失恋と友人の裏切りに絶望して心が歪んでいき、形の変わった願いは希望を巻き込んだ空に手を伸ばした墜落という結果を生みました。

このように二人は互いの存在を疎ましく思い、排除したいという考えに呑まれていました。そして同時に、自分が居なくなっても残った二人の日常は続いてしまう、という形で希死念慮にも囚われています。

梯子は希望を引いて墜落しました。そのとき確かに死んでほしいという憎しみの感情はありましたが、それは歪められた心によって暴走した偽りの願いだったのではないでしょうか。
梯子は希死念慮によって空に惹かれて墜落する選択をしましたが、希望もまた同じように空に惹かれていたことを感じたからこそ手を引いたのでしょう。
天が、梯子と希望は互いに恨んでいないといったのは、互いを排除しようとした偽りの願いではなく、二人が望んだ最初の願いがただ普通の日常であったことを見抜いたからだと考えられます。

■僕らが生きる理由

梯子は叶えられなかった願いを背負っています。それは逆に言えば、梯子には彼らを救えなかったということです。
いつだって人を救ってきたのは天使でした。
天使に出会うことで梯子はソーダやシンジュと出会い、救われました。
シンジュ√においてシンジュの最後の願いは天使によって叶えられています。
一方で、希望の絶望の一端を担った梯子が希望を救うこともないでしょう。
また、梯子と出会ったことで、ソーダやシンジュは絶望を忘れられるくらいに幸せな日々を過ごすことができました。
希望もまた、梯子と言葉を交わしたことで生き残ってしまった者の生き方、託された願いに思いを馳せたことでしょう。

たとえ救えないとしても、手が届かないとしても、救おうとすること、救いたいと手を伸ばし願うことは決して無駄ではない。救われなかった人たちが生きた証を背負って生きることが、誰も救えない人である僕らが生きる理由なのだと、そう訴えているようでした。

■言葉は祈り、想いを伝える力

最後に、梯子と天使の別れのシーンを簡単に見ておきます。作中屈指の名シーン。

希望と対峙し本音を言葉にしてぶつけることで、梯子は自分の過去を受け入れて明日を生きる覚悟を決めました。
しかし、実のところ二人の因縁はもっと早く互いに気持ちを言葉にできていれば、ここまでこじれることもなかったのではないかとも思います。
先述したように、二人の境遇はとても似通っており、そのことを知ることができればもっと違う結末もあったかもしれません。

それでいえば、ソーダとはるの関係は互いの想いを互いに秘めて言葉にしなかった結果とも言えるでしょう(簡単に口にできる類でもないのですが)。
シンジュも、ミーくんの心を操作するようなことをする前に勇気をだして想いを伝えていれば後悔を減らせたかもしれません。
実際天使√のシズクは、出会えたことの幸せが伝わるよう、祈るように想いを言葉にしたように感じられます。
最後に線香花火をしながら交わした言葉。たとえ忘れるとしても、心に刻まれるよう祈るように二人に伝えられたことは、梯子の後悔の一つを無くしてくれました。

そして、梯子は天使に想いを伝え、天使もまた同じように祈ります。
たとえ天使のことを梯子が忘れても、その想いまではなくさないように心に刻むように。
誰も救う力を持たない梯子にとって、言葉は絶望の中でも生きる希望を伝えられる大切な大切な力なのだと、そう思いました。

おわりに

断っておくと、私個人としては、本作は(少なくとも読了直後は)刺さる刺さらない以前に混乱の中にあっため微妙な評価です。
序盤の儚い青春、シンジュの目を背けたくなるような心の歪み、後悔を背をって生きる覚悟、美しい別れ、そしてそれらを形作るCGや楽曲と、構成する要素はどれも素晴らしいものだと感じています。
しかし、天使√の後半、天使の居た場所が天に置き換わり、(必要なことだったとはいえ)九条希望の手を取る流れが、あまりに唐突というか前後の繋がりがすぐには読み切れず。
その後、ソーダやシンジュが最後の別れのように現れたこともややご都合的な印象があました。
最後の天使との別れで言葉を交わすシーンは非常に美しいと感じた一方で、積み重ねてきた時間が一度途切れてしまっていたこと、また九条希望との関係がノイズになってしまったことで感情が乗り切れず、非常に惜しい思いです。

とはいえ、その惜しい感覚のままにしておくにはもったいないほど素晴らしい印象もあったため、なんとか彼ら、彼女らの想いを汲み取ってきました。
誰も救う力を持たないからこそ、想いを伝えられる言葉が力を持つ、という考えにたどり着けたことは割と気に入っています。

あとがき

読んでいただきありがとうございました。
以下の内容はゲーム本編とは関係なく、感想記事を書いた感想です。

先述したように、個人的にあまり刺さっていなかったことや、(元の願いにまつわる感情を閉じ込めているため)恐らく意図的に描写していないことで、中々考えがまとまらず、書くまで苦労しましたし、どれほど正しく理解できているかも不安(正しさというのも変ですが)。
あと、感想を書こうと思ってから実際に書き終えるまでの間は次の作品に手を付けづらいこともあって、ややストレスなのは困りものです。
娯楽に溢れかえっている現代においてプレイ本数に重きを置いてしまうと一生終わらないので、一つ一つの作品からどれだけ多くを受け取れるか、ということを考えたいと思っていはいるのですが、それでもまだ見ぬ物語に思いを馳せることは止められない。
ちゃんと作品に向き合うという意味でも感想を適当に済ましたくはないのですが、それでももうちょっと早く書けるようになりたいとは常々思うところ。
今回の本文は休日の午後から夜にかけて一気に書き上げたくらいなのですが、平日にも少しずつ書ければいいのかもしれません(気分続くかな……)。

次はもう1本新作をやれたらいいなと思います。

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