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人生の三つの段階:山は山、水は水から始まる探求
看山是山,看水是水。
看山不是山,看水不是水。
看山還是山,看水還是水。
こんにちは。
突然ですが皆さんは
「山は山、水は水、
山は山ではなく、水は水ではない、
山はやっぱり山、水はやっぱり水」
という言葉を聞いたことがありますか?これは宋代の禅宗の大師、青原行思(せいげんぎょうし)が提唱した人生の三つの段階についての言葉です。
今回はその意味を探求してみたいと思います。
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最初の段階の、「山は山、水は水」という言葉は、初めて何かに触れたときのような感覚です。例えば、子供たちにとってはすべてが新しいもので、未知な存在です。見たまま、感じたままに理解するので、それが大人にとっても新鮮なこともありますし、少し賢くなってくると、年長者がそれが何であるかを教えれば、その通りに認識したりもします。
次に、中年になると、私たちの思考は複雑になります。社会での経験が増え、市場経済の時代になると、人々は自分の利益を追求し合ったり、互いに信じ合わなくなることがあります。子供の頃の純真な見方から、物事の奥深さを理解しようとする傾向が見られます。
冒頭でも述べましたが、この言葉は禅宗の教えであり、修行によって私たちの認識や理解が変化することを表しています。山や水が以前とは異なるように見えるというのがその趣旨です。
私は今展示会の為広島に滞在していますが、例えば人は初めて瀬戸内海を見たとき、それはただの「美しい風景」だと感じるでしょう。しかし、時間が経つにつれ、その美しさが表面だけでなく、そこに住む住民の文化や風習、過ごした時間と結びつくことで、山や水の中に生命の力を感じるようになり、見方が変わっていくでしょう。
つまり、2行目の「山は山ではなく、水は水ではない」というのは、私たちの認識や理解が時間や修行によって変化する可能性を示しています。
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さて最後の段階は、「山は山、水は水」という考え方に戻りますが、深い理解が加わります。ほとんどの人は第2段階までたどり着くと思いますが、第3段階に到達する人は少ないでしょう。
年をとると、自分の人生を振り返ることが増えます。自分が何を得たのか、何を失ったのかを考えることがあります。お金や名声よりも、人々への貢献や社会への貢献の方が価値があると感じることがあります。山や水の本質に気付き、物事を深く受け入れることができるようになるのです。
経験を通じて、私たちの考え方や理解が変化し、物事の真の意味を理解するようになる。これこそがこの言葉の意味するところであり、私たちの人生の探求そのものです。
私が最近心に留めている言葉についてお話ししましたが、天然石を販売していると、これに近いなと感じることがあります。
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天然石に興味を持ち始めたことの人たちは、「これは希少ですよ、これは高価ですよ、これは・・・・」と言われたら、判断する経験も知識もないので、多くの場合そのまま受け取ります。そしてジュエリーに仕立てたりコレクションしたりすることが楽しくなってくるころ、石は美しい装飾品としてだけでなく、人々の感情や思い出、経験とも関連づけられそれを持つ人々にとっては特別な存在となります。こうやって持つ人によって見えるものや意味が異なるからこそ、多様な魅力を与えてくれるとも言えるでしょう。
そしてそういった『物質的モノ』としても天然石を楽しみ尽くした後、また純粋のその美しさに立ち返ったり、そこへ込めた自身の思いや経験を振り返ったりして、最終的に自分自身の本質に目を向けるようになるのではないでしょうか。
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日々の中で考えることは、私たち自身を深く知る手段でもあります。
皆さんもぜひ、自身や周りの世界について考えてみてくださいね (^^)