これから
高校2年の春、その後恩師となる数学の講師が、塾で、私のクラスを初めて持った日、私にこう聞いた。
「人生で一番大事なものはなんだと思いますか」
私は一言、忍耐、ですかね、と答えた。「悟ってますねえ〜」ほんのたわいもない戯れに真面目な返事が返ってきて優しく笑ったあの恩師は、彼の職場のある同じ新宿で私が今、性風俗産業に骨を埋めていることを知らない。
煙草を吸う。あの時の同期は同じ大学に進学したり、京都に行ったり、恋人と幸せに過ごしていたり、本当に様々に生きている。私とは離れたところで。
コロナじゃなければ、何かが変わっていたのだろうか。そんな風に思うことはある。大学同期に言われた。「君は生き急ぎ過ぎてる。」確かに人生は短い。けど、もう今の私には忍耐もクソもないんだろうな。
去年の暮れ、朝方、昔大好きだった男を抱いた。あんなに待ち焦がれていたはずの性行為は本当に呆気なくて、あああの頃の私は本当に死んじゃったんだと思う。可愛らしかったけど、でもあんな砂を噛むような行為ならもうなくていい。
何かに追われるようにこの半年生きてきた分、その分の重みがどこにもない。私は何をこの世に作ったんだろうか。この世の何を手に入れたんだろうか。
歌舞伎町で出会った愛おしい女の子がいた。彼女には離れたくても離れられない男の子がいる。「あの時私を見つけてくれたのは彼だから、彼が過去を笑い飛ばしてくれたから、あの時私を救ってくれたのは彼だったから、私彼のこと好きになっちゃったんだあ。」喫煙所でしゃがみこむと彼女はいつもそうやって笑う。
私にも見つけた彼がいた。こんなゴミの山のような世界の中で、あのゴミ溜めのような家の中でポツンと座り込んでいる彼がいた。彼は煙草をいつも吸っていて、それを遠くから眺めているだけのつもりだったのに、いつの間にか彼を思い出すために煙草を吸うようになった。
この2ヶ月彼にたまたま会えなくて、多分彼は必需品じゃないのだなと悟った。それこそ煙草のような存在で一歩間違えたら依存してしまうけど、なくても生きていけるもの。彼は嗜好品であって必需品じゃない。
彼はとてもとても弱い。でも私もとてもとても弱い。きっと彼も同じことを思っている。「彼女は嗜好品であって必需品じゃない。」馬鹿みたいな根比べである。
でもきっと私も彼も自分から相手を手放さない。煙草をやめられるのにやめないのと同じ。こんなゴミの山の世界で、私たちはそれでもまだ腐りかけだから、食べられるから、と言って、少しマシなゴミに執着する。
きっと先に捨てるのは私になるんじゃないかと思う。
もう私には腐りかけのゴミに火を通す忍耐力がないから。
きっとすごく膿みかけた傷を掻き回されるような気持ちがするんだろうな。
でもそんなことおくびにも出さず、きっと私は笑いながら言うんだろう。「最初から最後まで私のことなんて好きじゃなかったでしょう。」
その時きっと君は子供のように驚いて、少しだけ傷ついた表情をするんだろう。そうしていつもの無表情に戻って、私と同じ銘柄の煙草を吸うんだろう。
1ヶ月後か、1年後か、3年後か、私の忍耐が切れて、最後の言葉を吐く時がいつになるのかなんて誰にもわからない。
でも、それまで、君が私に絶望が滲んだ表情を見せるまで、この掃き溜めの中で一緒に煙草を吸ってくれたら、もうそれだけでいい。