秋雨 【創作大賞用投稿】

しとしと雨が降っている。彼の安らかな寝顔が雨雲の光に当てられて柔らかく見える。

個性とは所詮自分が演じたい役のことだ、福田恆存はそう言う。私にはそれが本当なのか、実のところわからない。でも、私はよく、その役を剥いでみたいと思う。変だろうか?剥いだって結果見えるのは、本能という名の大したことない残滓かもしれないが。


昨晩、彼のお面をどうしても剥がしたくなってしまった。これは演技や表現を虚構だと責める、愚かな私の性質なんだろうか。その人間の本性を剥きたくなってしまう。そんなものは本当にあるのだろうか。わからない、わからないけどLINEでカマをかけ続けた。悪いことをした。


ことに、一度私はこうなったらやめれない。死ぬ気で人の心に穴を空けてこじ開けようとする。昔からそうだ。それがどんな結末をもたらしたとしても、知ろうとすることを私はやめられない。


幸い、彼はかわすのが上手い。スカウトマンという職業柄だろうか。あるいは、波乱万丈な彼の人生が彼をそうさせてしまったのだろうか。まだ若くて未熟で箱入りな私には想像もつかないようなことが彼の人生にはあったらしい。


彼はあまり表情を動かさない、あるいは動かせない。そういうとらえどころのなさが、私を不安にさせる。私の客は大体とらえどころしかない。とらえどころしかないような様子だから客なのかもしれないが。40,50のおじさんですらそうなのに、弱冠25の彼がそうであることが、なんだか今にも消えてしまいそうで、私を不安にさせる。


今日も不安なまま彼の迎えを待った。私が心の中をちゃんとはのぞけない不思議な人だから、LINEの既読がつかなかった時、そうじゃないと頭ではわかっていても、どこかへ行ってしまったのかと思って焦った。連絡が来た時、心の底から安心した。寝坊した、遅刻した、そんなことはどうでも良くて、ただ画面の向こう側で幸せに寝ていてくれればそれでよかった。


だから、せっかく髪も切ったのに、人生初のマツエクにも行ったのに、ついでに強い女風のメイクもしていったのに、彼を揺さぶろうという計画は、すっかり失敗した。いつもの、99%の愛想と1%の下心で出来ている微笑で、「かわいいよ」しか言わない。こんなに準備した私がかわいいのなんて当たり前のことだ。一切自分のペースを崩さない彼に、苛立ちすら感じ始めていた。


私が若いせいか、彼の鎧が堅牢なせいか、どれだけ綿密に計画を立てていっても、私は彼のペースには勝てない。心の中は見えないから、私は彼のペースに従うしかない。煙草臭い部屋で、彼は彼の好きな時に私にキスをするし、首を絞める。心地はいい。ただこれで本当にいいのか、私にはわからない。


彼は一通り私の体を撫で回したあと、私に一人でするように命令した。彼はそれを満足げに眺めながら、煙草を吸い始めた。そんな彼を横目に見ながら私は言われた通りにしていた。目が合うと恥ずかしくて、しばらく目を伏せていた。ある瞬間ふっと彼を覗き見た。


彼は伏し目がちな表情で、皮肉っぽく、でも満足げに笑いながら、煙草の煙を吐き出していた。


物語のヒロインなら、ここで彼に恋をしたのかもしれない。だけどその表情は、私をとても安心させた。カッコつけて煙草を吸う、16歳くらいの少年に見えた。愛想と愛想の間に垣間見えた、等身大の彼の表情だった。ああきっとこの人は私にこういう自分を見てほしいんだろうなと、ふと腑に落ちたのだ。


思わず彼の手を握りながら、「ふへへ 」と笑ってしまった。突然の私の満面の笑みに彼は明らかに動揺した。「なんだよ」彼は動揺して煙草を吸うのをやめてしまった。「別に」私は彼の手を握りながら、なんて愛おしい25歳児なんだろうと思った。


その出来事を皮切りに、彼の様子が変わった。あるいは、私の見方が変わったのかもしれない。彼の愛想の裏に、少しだけ彼の生の表情が見えるようになった。年上な分だけやはり私よりずっと余裕なのだろうけど、その裏でちゃんとやさしく気持ちが流れている、その水脈をちゃんと見つけられて、私は安心していた。


今彼は行為に疲れて、隣で規則正しく寝息を立てている。外では秋雨が優しい音を立てている。可愛くて見栄っ張りな彼の頬に、起こさないように優しくキスをした。彼は眠りの中で「ん.....」と声をあげた。その表情は満足げだった。

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