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成果、数字、札束、歌舞伎町

しばらく角膜炎で目が見えなかった私は今日になって閑散期と呼ばれる11月を初めてこの身で体験した。結果は散々だった、1本ついただけ、これなら昼職の時給の方が良かった。まあ昼職は自由出勤じゃないんだけど。

私は数字というアイディンティティに依存している。自分の出した成果でしか自分を評価できない。成果を出せない努力や過程などなんの意味もない。それはやり方が間違っているということ。私には「がんばったね」もクソもない。

高校の時にはそれが偏差値や順位だった。毎日毎日落ちるんじゃないかという不安でアスピリンとカフェインと処方されていた抗炎症剤に溺れていた。剤で剤をキメるなと周りの子に言われてばかりだった。でも私は都内文系13位で、早慶以下ではA判以外出した事なかったし、東大模試はちゃんと冊子掲載だった。それだけが私の心の拠り所だった。それが自分が稼げる金額という指標に変わっただけ。

今日1.4しか稼げなかった私は1時間近く歌舞伎町をぐるぐるぐるぐるしていた。発狂しそうだった。私が結果が出せなかったのはなぜ、どう努力したら良かった?頭を使え、脳味噌を回せ、どうせ使えるものなんてそれしかない。

頭が痛くなってきた。高校の時半分キマッた脳味噌で、もう資本主義辞めたいな出家したいななんて思いながら、倫理資料集の国家社会主義とかマルクスのページを見ていた。今の状態は労働疎外なんだろうか、それとも人間としてもっと大事な何かから疎外されているんだろうか。

いつまで私はこのしょうもない世界で数字に追われ続けるんだろう。カフェインと使えもしない知識で重くなった頭を横に振る。今日の歌舞伎町は寒い。

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