何でもない移住
香川県高松市に移住することになったのでその心境を備忘録として残しておく。
正直書くつもりもなかったが、あまりにも「なぜ、高松市へ?」と聞かれることが多かったこと。色々と答えてもなかなか上手く伝わらないので文章にしたら少しは共感してもらえる人がいるのではと思ったから。
この文章を読んでもらいたいのは、移住をしてみたいと考えているけど、大層な目的意識もない人です。私がそうだから。
逆に
みたいな目的を持っている人には合わないかもしれません。
どれも素敵です。ただ、私には少し眩しすぎるのです。
私はできれば何者でもなく、モブ市民として穏やかな生活がしたいと考えているのです。
東京での生活は、まるで巨大な洗濯機の中に放り込まれたような、目まぐるしい日々でした。サラリーマン時代、毎朝の満員電車は私にとって苦行でしかありませんでした。ぎゅうぎゅう詰めの車内では、自分の意思とは無関係に人の波に揉まれ、目的地まで運ばれていくような感覚でした。
息苦しいだけでなく、時折発生する遅延は、仕事の開始時間に間に合うかどうかという不安を増幅させ、精神的な負担となっていました。職場環境も決して楽ではありませんでした。本社という組織の性質上、現場を知らない人間からの横やりや、的外れな口出しは日常茶飯事。
まるで自分の時間を生きている感覚が希薄で、ただ歯車の一部として機械的に毎日をこなしているだけのように感じていました。
フリーランスに転身してからは、時間的な自由度は増しましたが、今度は自分で自分を追い込んでしまう悪循環に陥りました。収入の不安定さから、来る仕事は全て引き受け、寝る間も惜しんで働き続けました。
あの頃、餃子の王将や天下一品でさえ30分待ちが当たり前という状況も、東京という街のスピード感と、私自身の焦りを象徴しているようで、息苦しさを感じていました。都会の利便性は確かに魅力的でしたが、私にとっては、心をすり減らすだけの代償が大きすぎたのです。
フリーランス時代は、営業代行、ライターなど、複数の仕事を掛け持ちしていました。クラウドソーシングで仕事を受注することもあれば、知人の紹介で仕事を受けることもあり、収入源は多岐に渡っていました。
しかし、安定した収入を得るために、常に複数のプロジェクトを同時進行させなければならず、精神的な負担は大きかったです。仕事のオンオフの切り替えが下手だった私は、常に仕事のことを考えてしまい、心身ともに休まる時間がありませんでした。
寝る時間すら惜しんで仕事に没頭した結果、慢性的な睡眠不足と精神的な疲労に悩まされるようになりました。ひどい時は、動悸や息切れ、めまいなどの症状が出て、病院で検査を受けたこともありました。医師からは「過労」と診断され、生活習慣の改善を強く勧められました。この経験が、私の人生における大きな転換点となりました。
移住を考えるきっかけとなったのは、まさにこの心身の疲弊でした。医師の言葉と、自分自身の身体の悲鳴を無視することはできませんでした。「このままではいけない、何かを変えなければ」という焦燥感から、地方移住という選択肢が現実味を帯びてきました。そして、様々な地域を検討していく中で、香川県高松市が徐々に私の心の中に浮かび上がってきたのです。
高松市を選んだのは、単に海が好きだったからだけではありません。他の候補地との比較検討の中で、高松市が持つ独特の魅力に惹かれたのです。北陸地方の金沢市や新潟市は、観光で訪れた際には美しい街並みや豊かな食文化に感動しましたが、実際に住むとなると、具体的なイメージが湧きませんでした。
博多、松本、小田原、浜松も素晴らしい都市でしたが、既に多くの移住者が集まっているこれらの地域は、私にとっては少し刺激が強すぎるように感じました。少しマイナーな地域を選びたいという、逆張り思考の私の感性が、高松市へと導いたのかもしれません。また、西日本で長く暮らしていたため、東京へのアクセスはそれほど重要視していませんでした。
高松市での生活は、まだ始まったばかりですが、2DKの部屋を5万円前後で借りることができ、生活コストの面では東京に比べて非常にゆとりを感じています。
仕事は再びサラリーマンとして営業職に就きました。地元企業で働くことで、地域社会に貢献したいという思いもあります。生活基盤を整えつつ、まずは自転車で街を探索し、そのうち車を購入して、ゴルフや旅行を楽しみたいと考えています。(5キロ圏内をうろうろするならどのくらいの自転車が良いんだろうか?)
移住して感じた変化はまだこれからですが、高松市での生活を通して、自分のペースで仕事とプライベートを両立させ、心身ともに健康な生活を送りたいと考えています。
都会の喧騒から離れ、穏やかな高松での生活の中で、自分らしい生き方を見つけていきたいと思っています。
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