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情報を得て、利益を得たいし、人として成長したい...よ、私も

オンラインなどで、あーこの人ときっと

とーーってもいいためになること言うんだろうなー。

いい話なら聞きたい!

と頭は思うのに(情報もらいたい、得をしたい)

気持ちは、気持ちなのか耳なのか身体なのかは

これ以上この人の声を聞いているのはつらい

と拒絶していることがよくあります。

表現するならば気持ち良く入ってこない

身体がザワザワとしたりムズムズとして気持ち悪い

結局頭と身体どちらが自分の中で勝つかとうと

身体は聞くに耐えられず

聞くことを止めるということをしてしまいます。

すると情報は結局得られなかったのだけれど

身体はまた澄み切った気持ち良い状態に戻っていく

私はなんて感覚的な人間なんだろう。

少し我慢して書けばいい話が聞けたかもしれないのに

と、私の中の利益主義の一部は考えるのだけれど

私という全体性は

やっぱ無理でしょう

と知っているのです。


自分という人間は、隅々まで澄み切った水が流れ続けることを望んでいるから

あーこれはなんだか淀んだ水なんだと感じてしまったら

どれだけ身体にいい栄養が入ってるといわれても

やっぱり飲めないし

入れられない

得した!学んだ!と、まるで前に進んだり

成功したようにその場は思ったとしても

それは自分には役立に立つどころか

回復のための休息が必要な

そんな感覚になるのです。


結局情報もお得なことも

本当に自分が望む欲しいことではなかった

ということでしょう。

頭じゃなくて身体(感覚)は知ってる

そして身体こそ考えそのものでもある


気持ち良い自分の感覚の継続が

私をつくり続けている


だから、結局感覚こそが全て知っている

















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