スイスで働くことになった話。 その1
こんにちは。
2015年から現在まで、夏季をスイスで過ごしています。
場所はこちら。
4478mのマッターホルンの麓、ツェルマット (Zermatt)です。
街自体の標高が1600m、職場に3000m超えを含みます。
どういう経緯で働くことになったのか、自分としてもそろそろまとめておきたいと思ったので、何回かに分けて書いていきたいと思います。
まずは遡ること2014年。
当時私は、1年間の開放感溢れる快適なカナダ生活を終え、なんとか日本で生きていこうと模索している日々でした。帰国後1年経っていたとはいえ、日本人として日本に "adjust(=適合する)" ことに困難を感じていました。そんな中で、とある駅でのインフォメーションの仕事に就きます。これが、運命の分かれ道でした。もちろん、良い意味での。
私が勤務することになったのは、5月に抜けてしまうポジションの補充、ということでした。覚えることも非常に多く、バタバタと引き継ぎながら過ぎ去っていく日々の中で、抜けてしまったスタッフの話を耳にします。
あの子は、夏はスイスにいるからね。
という言葉。何のことだか、いまいちよく理解できませんでした。
スイス??
ここで、私が初めて勤めた会社の話を少し。
新卒で入った会社は、スイスに本社を持つ外資系の会社でした。なので、スイスという国に縁が全くないわけではなかったものの、この時既に、辞めてから7年ほど経っていたので、スイス、と聞いて複雑な気持ちが湧いてきました。もっと言えばあまり良い思い出のない職場で、正直言って思い返したくなかったのでした。笑
そうして、スイスかぁ。と思いながらも日々は過ぎ、約半年後の10月。
5月にスイスへ旅立ったスタッフが帰国、職場に復帰したのです。話を聞いてみたいと思っていたので、休憩が一緒になった時を見計らって、聞いてみました。
そうして彼女、ー 仮にTさんとしておきます ーに、以前スイスの会社と関わりがあったこと、もしかしたら共通の知り合いがいるかもしれない、という話をしました。あり得ないことではないと思ったし、世間は狭いので。ただ、冗談8割の気持ちでいました。そうしてTさんが見せてくれた現地の写真には、なんと会社員時代の先輩と後輩が計3人も写っていました。
あの時の衝撃、狭い狭いと言われる世間の実感、まだ覚えています。
オーマイガー!でした。
ここから更に、奇跡の繋がりは続く。
この衝撃の会話のちょうど前の週、件の会社の後輩の結婚式の二次会にお邪魔しました。比較的早くに退散したものの、懐かしい面々とも会えて、良い時間でした。
そこで、ある後輩となぜか連絡先を交換しました。今でもきっかけは全く思い出せない、本当に『何故か』。
そして翌週のTさんとの会話に繋がります。彼女の見せてくれた写真に、その後輩が写っていた!衝撃第2弾。
更にTさんの口から出たのは、衝撃第3弾の言葉。
『後輩くん、来年のスイスの仕事の後継者を探してるらしいよ』
という何だこの奇跡の連続!という流れでした。
早速連絡してみることに。
実はこちらも半分以上冗談でした。
スイスで働けるなんて夢のようじゃないか!面白そう!という単純な動機です。うまくいったら嬉しいな、という比較的控えめな気持ちだったように思います。
そうして奇跡は続く。
『ちょうどスイスの仕事のボスが来日するので、紹介します』
という後輩くんの言葉と共に。
その2に続きます。