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私と母の願い

幼少期の母とのことを
前回の投稿で触れたので、
もう少し書いてみたいと思います。

そもそも、私は
何のために入園までに
トイレトレーニングを間に合わせず
幼稚園で粗相を繰り返したのでしょう?

私が生まれる数年前(1981)に
国産メーカーの
紙おむつの販売が始まりましたが、
当時の我が家は布おむつ。

私自身も
息子を布おむつで育てていたので
よくわかるのですが、
紙おむつの進化に対して
じっとり濡れた布おむつの不快感は
世代が変わっても変わりません。

そして、その不快感があるからこそ
布おむつの子のおむつ離れは
早いともいえるのです。

少し逸れますが、
今でも私の幼少期のエピソードとして
両親が語るのが、あせものこと

「赤ちゃんの頃、
あなたの頭に大きなあせもの親玉が出来て、
大変だったのよ」

あせもを親玉として
擬人化していることにびっくりですが、
そうなってしまうほど、
何のために
私はあせもを親玉化させて
いたのでしょうか?

トイレでの粗相のことと
あせものこと

その状況を作ることで
母に気にかけてもらいたかった
つまり、
私だけを見ていてほしかったという
願いを抱いていたことに
気がつきます。

何のために…と問いかけ
掘り下げていくと
子供の頃の母の姿が浮かんできます。

母は、3歳の時に
実母を病気で亡くし、
再婚した継母に育てられています。

3人姉妹の真ん中で、
一番下の妹は
生後数ヶ月という赤ちゃんでした。

初婚で3人の子連れの祖父に嫁いだ
継母である私の祖母も
相当な覚悟を持ち、

娘達をいつ嫁に出しても
恥ずかしくないよう、
それはしっかりと
厳しくしつけたそうです。

上の姉は当初
そんな祖母に対して
反発が出来たそうですが
母は、それが出来なかった。

私は聞き分けの良い子だったのよ、と
微笑んでいました。

祖父も祖母も
生きていくため
家族のために必死な中

母は、その状況を理解し
3歳の甘えたい盛りに
自分の心を満たすことが出来ず
じっと堪えてきたのでしょう。

私が幼い頃に抱いていた
私だけを見ていてほしいという願いは
時を超えて
幼かった母の願いも
映し出していたのでした。

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