手離しのお話①黒いロングコート
第1回目
黒いロングコート
寝室に入ると
白い壁に
存在感を放つ
礼服用の黒いコート
引越し後
中段のある押入に入らず
仕方なく壁に掛けていました
黙っていれば
きれいめのコートですが
「礼服用だから」という
思いがひっついていると
普段着るにも
抵抗があります
そして何よりも
そこにあることで
誰かのお別れを
待ち構えているような
気持ちになり、
それなら手離そうか、と
ようやく思い至りました
コートを買ったのは
今から6年前のこと
結婚をして、
1年と経たない内に
義母の病気が発覚し、
3年間の闘病生活が終わりを
迎えた時のことでした。
早朝に連絡を受け
始発の電車に飛び乗り、
退院の手続きや
お寺の手配などを終えると
外は真っ暗
目まぐるしい一日を駆け抜けた後の
ぼんやりした頭で
ようやく夫と
紳士服の量販店に入ったのです
礼服はわりとあっさり決まり
問題は、コート
2月に入ったばかりの
1番寒い時期でした
私が持っていたコートは
明るい色で
さすがにお別れの場で
着ることは憚られました
そこで
店員さんが持ってきたのが
黒いカシミヤのロングコート
「軽くて、温かいですよ」と言われ
羽織って鏡を見てみると
着心地の良さを感じるよりも
立ち上がった襟のデザインが
一日の疲れと
化粧気のない顔を
一層浮かび上がらせて
「似合わないな」と感じました
そして
ポン、と買うには
躊躇する金額
けれど、夫はすんなり
「買おうよ」と言ったのでした
今から他の店で
コートを探すくらいなら…と
そのくらい
私も夫も
くたくただったのです
そこに気付けたなら、
納得して
手離すことができます
そして、
必要で買ったのに
最後は不満ばかり感じて
扱っていたことに
申し訳ない気持ちになりました
今までありがとう、と
綺麗にたたんで
コートを手離したら、
ようやく寝室に
安堵の気持ちと
軽やかな空気が
巡りだしたように感じました