古巣に行った日
昨日、2ヶ月ぶりに
引っ越し前に通っていた幼稚園の
イベントに声をかけていただき
息子と出かけてきました。
朝から
「何となくお腹が痛い」と言いつつ
「けど、行きたい」の
やり取りを経て
最寄りの駅に降りたって歩いて行くと、
幼稚園の塀にかかれた
ニワトリとヒヨコの絵が見えます。
その時に初めて
「不安だよ、怖いよ」と
息子が言いました。
訊いてみると
自分がもう、
忘れられているのではないか
と感じていたのだそうです。
「大丈夫、そんなことないよ。」
そう伝え、
門をくぐり、敷地に入ると
先生達が笑顔で迎えてくれ、
あっという間に息子の周りに
お友達が駆け寄ってきてくれました。
けれど、
浮かない硬い顔
イベントは
生徒の作品による美術展で
息子の展示もあり、
随所に先生の息子への思いやりが
感じられました。
けれども、大好きだった先生に
抱っこしてもらっても
照れもあり
表情は硬く
笑顔が引きつってみえました。
そこで、先生に了承を得て
今彼が最も夢中になっている「コマ」を
回させてもらったのです。
すると、そこにはもう
保育園で過ごしている
そのままの
彼しかいないのでした。
再び、電車を乗りかえて
今の最寄り駅に降り、
自宅に向かって歩いていると
「あ、◯◯くん!」と
息子の名前を呼んで、
今の保育園のお友達が
声をかけてくれました。
その時の顔が
本当に嬉しそうで、
ああ、息子は今の環境を
自分の場所と決めたんだな、と
深く納得したのでした。
どちらも自分の場所でいい、と
親の私は感じて欲しかったけれど
今回の幼稚園への訪問で
この2ヶ月の間に
色んな不都合を飲み込みながら
息子なりの乗り越え方をしたんだな、と
その大きな山の存在を
改めて感じました。
私は小学校と高校の時に2回、
親の仕事の関係で転校を
経験しています。
特に小学校の転校は
北海道から大阪という
大きな環境と方言の壁があり
慣れるのに随分と
時間がかかりました。
そんな私の性格を知ってか、
札幌時代の担任の先生は
まめに手紙を下さったり、
クラスの様子をまとめた
保護者向けの「お便り」を
製本して送ってくださったりと
あなたは今でも
私の教え子ですよ、という
メッセージを届けてくださいました。
当時は
その「お便り」の内容と
現実との解離を感じて、
素直に先生の愛を受け取れない
自分がいました。
それでも、そんな自分を
見守ってくれる誰かがいる、というのは
人生を生きていく上での支えであり、
今でもその先生とは
年賀状のやりとりが続いています。
変わらない綺麗な字で
ユーモアと温かさを伝えてくれる
優しさに満ちた年賀状は
まるで小学生の私に戻ったようで
心が温かく、くすぐったくなります。
きっと幼稚園の先生も
息子を想う気持ちは
この先もあると思います。
それを今は私が繋げ、
いつか息子にさり気なく
届けられたらと思っています。