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自己肯定感を取り戻すための第一歩

毎日が生きづらい人へ

自分に自信が持てず毎日が生きづらい。
そのような悩みを抱えている人は少なからずいると思います。
私もその一人でした。
この記事では、自己肯定感を取り戻し苦しい過去を克服した私の経験を綴っていきます。
これが、以前の私のように毎日悩み、苦しんでいる人たちへ一助となることを願っています。

自己肯定感が低い人の特徴

以前の私は、常に他人と比べて出来ていない自分に劣等感を抱いていました。
失敗することに異常なまでの恐怖心を抱いていており、新しいことに挑戦することから出来るだけ避けるようにしてきました。
自分で決めることが出来ずに他人に決定権を委ねていました。
何もできない自分を責め、自分を苦しめていました。
毎日、自分で自分を罵倒しているようなものです。
そんな状況では心を休められる訳はありません。

何故、私がそのような考えを抱くようになったのか。それは、私の幼少期の経験が大きく関係していたことに後になって気付くことになります。

過去の自分を振り返る

私は、公立小学校教員であった両親の3人息子の次男として生を受けました。
小学校時代までは放課後は4歳年上の兄と過ごすことが多かったのですが、遊んでもらっていたのではなく、兄のストレスの吐口として躾と言う名のイジメをずっと受けていました。
ちょっとしたゲームでミスをした時、あるいは兄の気に入らない行動や仕草を取ってしまった時には、腕立て伏せ、腹筋、空気椅子を強要され、さらにそれが終わるとプロレス技をかけられました。
どんなに辛くても苦しくても抵抗はできませんでした。小学校低学年が4歳年上の高学年に敵うはずはなかったからです。
泣こうものなら兄の逆鱗に触れ、ますますイジメが悪化するだけなので、決して泣かないように笑って楽しんでいるフリをせざるを得ませんでした。
父親は面倒なことは決して自分ではやろうとはしない性格でした。
家事や子供の教育は全て母親に任せる立場を貫いていたため、全く頼りにはなりませんでした。
唯一の話相手は母親でしたが、その母親にさえ、私は助けを求めることはできませんでした。
告げ口したことによる報復を恐れていたからです。

「失敗しないよう行動しないこと」、「目立たないこと」、「他人の顔色を伺いながら気を損ねないように気遣うこと」は小学生の私がこの家族の中で生きてゆくために習得した処世術だったのです。
このような経験が、自分がいかに無能で無力であるか、また価値のない人間であるかを潜在意識に刷り込まれる原因となっていったのです。

固定観念に気づくことの大切さ

しかし、私は大人になってからもずっとそれを大切に心の奥にしまったままでした。
結果的にその考えが、成人して間も無く心のバランスを崩す原因となってしまったのでした。

私は、私自身の幼少期の経験による固定観念が自己肯定感を妨げていたことを知ってから、自己肯定感を取り戻すことができました。
不要な固定観点に気づき、それを捨てることができたからです。

私は生まれつき自己肯定感が低い人はいないと考えています。
自己肯定感の低い人は、過去にそれを抑制するきっかけとなった出来事や経験が必ずあります。

人はいくつになろうと自己肯定感を取り戻してゆくことは可能です。
しっかりと過去の自分と向き合い、自己肯定感を抑制しているものに気づき、そしてそれを適切な方法で取り除いていくことが大切なのです。

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